- 2003.07.10.(木)
- 2003.07.11.(金)
- 2003.07.11.(金)朝8時
- 2003.07.11.(金)朝10時
- 2003.07.11.(金)昼11時半
- 2003.07.11.(金)昼12時25分
- 2003.07.11.(金)
- 7月13日(日)夕方6時半
- 7月13日(日)夜9時
- 7月14日(月)朝8時
- 7月14日(月)昼12時
- 7月15日(火)午後3時
- 7月15日(火)夜7時半
- 7月16日(水)朝9時
- 7月16日(水)朝10時半
- 7月16日(水)21時
- 7月17日(木)夕方4時すぎ
- 7月17日(木)昼13時すぎ
- 7月17日(木)15時すぎ
- 7月17日夜21時半
- 7月18日(金)朝
- 7月18日(金)夜
- 2003年7月19日土曜日
- 7月21日(月)朝
- 7月21日夕方
- 7月21日夜
- 7月22日
- 7月23日午前
- 7月23日つづき
- 7月23日さらにつづき
- 7月24日
- 7月25日昼
- 7月26日
- 7月26日
- 7月28日昼
- 7月29日
2003.07.10.(木)
18時半、石垣を出港。那覇を目指す。
琉球海運の船は、和室で雑魚寝。
仲良くなれて楽しいけど、窓もないし息苦しい。
なので。
甲板で寝た。
毛布にくるまって見る星、独占。
夜の海は黒い。
2003.07.11.(金)
朝7時半、那覇新港に到着。
この港ってさ、那覇って言いながら那覇から遠くて、
バスも全然ないんだよな。
去年、台湾旅行から帰ってきたときもここだったから知ってる。
やっぱり全然バス来なそう。
安謝(あじゃ)まで歩くか。
徒歩15分で、大きい通り(国道58号線)に出る。
ふと思ったんだけど。
アジャコングって沖縄の人なんだな、きっと。
アジャって、この安謝だよな。
沖縄の人ってみんな地名が苗字。
2003.07.11.(金)朝8時
こんな朝早いけどなあって思いながら電話した知り合いと連絡がつく。
泊めてもらうことにした。
浦添にある事務所。
てんつくマン、という、今サバニで沖縄から鹿児島を目指しつつ映画を撮ってる、
よくわかんないけど、熱い男がいて。
その彼の仲間(スタッフ)の事務所。
「まみこの場所はここね」って言われたマットの両側には、
ひげづらの男性が2名雑魚寝。
すごい光景だ。
こんなことで動じてはいけない。
お世話になるのだから、たくましくあろう。
ていうか、この事務所のあるバス停の名前。
「第2城間」だって。
思わず「第2って何だよ」って突っ込んじゃった。
あ。
そういう訳で、事務所のパソコン借りて、
この日記を書きこんでます。
ノートパソコンを買おうとベスト電器も行ってみたけど。
ちょっと高くて怖気づいた。
どうしようかな。
写真もそういう訳で、今はまだなし。
すみません、よろしく。
2003.07.11.(金)朝10時
バスで那覇国際通りに向かう。
バス路線、難しそうだな。
でも、口があるって便利だ。
聞けばいいから。
はなから聞くつもりなので、路線図のチェックすらしない。
それより、道路を渡るときに、信号のところじゃなきゃ渡れない。
車が多いから。
いつもは渡りたいところで渡れるのにな。
クラクション鳴らされて、知り合いかと思ったら、どけってことだった。
あー、そうだよな。
クラクションって、そういう使い方するもんだよな。
わたし、何だか田舎者だ。
あ、あと。
吉野家の牛丼が280円なのも驚いた。
それって普通?
400円だったよね。
いつの間に…。
2003.07.11.(金)昼11時半
那覇、平和通り「花笠食堂」で昼ゴハン。
どーうしても「てびち」が食べたくて。
そして「そば」も食べたくて。
でも、メニューの「てびち」は「煮付け」と「汁」のみ。
特注で「てびちそば」にしてもらった。
幸せ。
2003.07.11.(金)昼12時25分
リウボウホールにて映画「ホテルハイビスカス」を観る。
映画も気分もゴキゲンさー。
こんなタイムリーに、観たい映画が観られるなんて。
都会ってすごいなあ。
でも、都会なのに、リウボウホールは「さすが沖縄」って感じだ。
パイプ椅子だし。
上映中にみんな大声出して驚くし、
おばちゃんの席移動も、パイプ椅子を持ち上げて大々的だし。
誰もパンフレットとか買わないし。
映画の途中に通路でおばあが転んでるし。
あー、満喫。
2003.07.11.(金)
あー、まとめて書くの疲れてきた。
その後は…。
愛する「スターバックスコーヒー」でアイスラズベリーフラペチーノ。
いつ以来のスタバだろう。
都会の味だー、幸せ。
北谷の美容室powderで髪を切ろうとバスで向かう。
そしたら疲れてたみたいで寝過ごした。
でーじ。(大変ってことね)
いっぱい歩いて、北谷まで戻った。
ていうかさ、沖縄の人はみんな親切だと信じてたのに。
運転手さん、起こしてくれなかったー。
乗る時に「北谷まで」ってアピールしといたのになー。
その美容室が、かなりナイス。
店長のミミさんに惚れた。
よき出会いに感謝。
そのミミさんに教えてもらったカフェに向かう。
cafe CELLULOID
これまたナイス。
明日は1周年だそうだ。
パーティがハッピーでありますように。
よき出会いに感謝。
cafeを出る頃、どこからか太鼓の音が…。
向かってみると、何と「エイサー」がやってる!
沖縄市東青年会。
西表でエイサーをやってたわたしにとって、
本島の青年会のエイサーは、
もう憧れ以外の何物でもない。
見られてよかった、かっこよかった。
地謡も最高。
はあ、ついてるって、こういうことだ。
良き日に感謝。
おやすみなさい。
7月13日(日)夕方6時半

今、那覇から名護に向かうバスの中。
まだ宿もとってないし、そもそもバス停から歩けるところに宿があるのか不明。
やや不安。
でも、まあ何とかなるっしょ。
7月13日(日)夜9時

ただいま名護ゲストハウスにてまったり中。
いい宿だ。
海辺で月が出ててバーベキュー。気持ちいい。
道を歩いてたら看板があった。入ったらこんなにハッピーな宿だった。旅は風まかせが一番だな。
自分の気持ちいい方に歩いていくと、ちゃんと居心地のいい場所にたどり着く。
しかもこの宿は、さっきまで泊まらせてもらってた知り合い(サバニで沖縄から鹿児島に向かってる「てんつくマン」)が、ものすごーくお世話になった宿だった。人の縁ってすごいな。
会うべき人には会えちゃうもんだ。
さあ、明日からも流されよう。
7月14日(月)朝8時

名護ゲストハウス、さわやかな朝。
宿のみんなは今日は船でシュノーケリングに出るらしい。
さっきまでわたしも行くつもりだったけど。
今日はやめとこうかな。
特に理由はないけど、こういう気分を大切にしよう。
何となくやめようかなってときはやめとく。
それにしても気持ちいい宿だな。
みんなそれぞれ、ハンモックで本を読んだり、ビーチチェアでうとうとしたり、屋根の上に洗濯干したり。
ところで昨晩、ねぼけちゃった。
自分の家で寝てる気がして。
ネコが勝手に部屋にあがってきたかと思って「こらっ」て言ったら、ベッドに干したタオルだった。
ドミトリーだから誰か起こしちゃったかもな。恥ずかしい。
7月14日(月)昼12時

た、大変なことに。
気の向くままにふらふら歩き、何となくバスに乗り。
降りた部落をさまよっていたら。
右手に何だか見覚えのある建物が。え、まさか。でもやっぱり。
たまたま通りかかったおばあに聞いてみた。
「ここって、ホテルハイビスカス?」
「そうよー」
キャー、やっぱりそうだ。
すごい、すごすぎる。
こんなに広い沖縄で、たまたま歩いてたこの道で、
3日前に観て大好きになった映画のロケ地に出会えるなんて。
もしかしたら今わたしが沖縄で一番行きたかった場所かもしれない。
どのガイドブックにも載ってなくても、心の通りに歩いてたら来れちゃうんだな。
今、ホテルハイビスカスの玄関先に座って、この日記を書いてます。
最高ハッピー、ありがとう。
7月15日(火)午後3時

今帰仁城跡
いつも空や海、月、星なんかを見ていると、石ころの形ひとつとっても
「うわっ、自然すごい。神様すごい。こりゃあ人間敵わないや」
て思うけど。
こうして遺跡の中にぽつんと座っていると。
人間、すごいよな。
人の力って、かっこいいな。
7月15日(火)夜7時半

今帰仁のゲストハウス「結家」でまったり。
ここは名護ゲストハウスにあったチラシでみつけたんだけど。
ホントは今日一日、夕方まで観光してからこの宿に来るつもりだった。
なのに、わたしったら。
バスを朝から乗り間違えた。
名護のバスにも慣れてきて油断したのね。
人に聞かずに自分で時刻表を調べたらこの様だわ。
で、なぜかこのゲストハウスの最寄りのバス停に朝からたたずむわたし。
宿のオーナー結ちゃんに迎えにきてもらって、観光どころか、ハンモックで昼寝。
まあ、日差しがきつくなってきたので目が覚めて、自転車で今帰仁城跡まででかけたりもしたけど。
今帰仁城跡でも本丸の木陰で昼寝しちゃったし。
今日は寝てばっかりだな。
7月16日(水)朝9時

今帰仁(なきじん)のゲストハウス「結家」を出発。
主の結ちゃんの魅力満載、ハッピーな宿だった。
この写真が結ちゃんなんだけど、もとサーカス団員のパワーを見せるべく車に足を乗せようとしてる。
アホだな、かわいいけど。
ホントに、この宿の魅力は結ちゃんの魅力。
ビーチでひとり転がって見た月も、ハンモックに揺られた夕焼けも幸せだったけど。
それより何より、みんなで夕飯を作ったり、洗濯するときには他の人のもついでにやったり、観光ついでに買い物頼まれたり。
そんなんが居心地よかった。
頼りになるのに放っとけないタイプの結ちゃんを囲んで、その日その日で毎日家族ができる感じ。
これだけリゾート感がありながらアットホームってすごいことだよ。
また来ようね、ありがとう。
7月16日(水)朝10時半

乗っちゃった、船。
沖縄、脱出。
7月16日(水)21時

奄美大島に来てみた。
夕飯は早速「鶏飯(けいはん)」。
奄美の名物らしい。
初めて知った。
鶏やら椎茸やらいろいろをゴハンの上に乗っけて、鶏スープをかけていただく。
激旨。
スープかけずに丼でもおいしそうだけどな。
かけちゃうんだな。
お茶漬けみたいな感覚かな。それにしちゃ豪華か。
まあ、おいしいからいいや。
それにしても、ここは沖縄じゃないんだな。
ちょっとした瞬間にとまどう。
さっきは宿の兄さんのことを「にいにい」と何気なく呼んでしまった。
奄美には「兄さん」はいても「にいにい」はいないんだな。
こんな風にちょっとずつ北上していったら、わたしは旅の間ずっととまどい続けるんだろうか。
宿の部屋から近くの飲み屋のカラオケが聞こえる。
何だか遠い国に来たみたいだ。
西表島がちょっと恋しい。
7月17日(木)夕方4時すぎ

今ね、奄美大島の港。
そもそもどうして奄美に来たかっていうと。
沖縄から鹿児島にサバニ漕いで渡ってるやつらがいるんだけど。
ちょうど奄美に寄港するらしくって。
このタイミングで、こんな近くに寄港されたら、来るっきゃないでしょ。
でね、今まさにサバニが沖に見えてきた!
思いの他、興奮して感動してるわたし。
あいつら、すごーい!
だって沖縄からだよ。
わたしが大きい船で丸11時間もかかった海を。
自分たちで作った木の船に10名位乗り込んで、10日以上もかけて、漕ぎ続けて。
理由は何であれ、かっこいいじゃないか。
我が友ながら天晴れ。
おー、こうしてる間にも、姿がでかくなってきた。
早く来ーい!
7月17日(木)昼13時すぎ

鹿児島県立図書館奄美分室。
すごい。
何となく「ネットでもできないかなあ」と来てみたら。
ここは作家・島尾敏雄が初代館長を務めた図書館だった。
島尾敏雄の在った地で「死のとげ」を読む贅沢よ。
この旅ずっと冴えてたアンテナが、沖縄を出る頃からちょっとずれてた。
そのずれが気になって、ちょっとイライラしかけてたけど。
島尾文庫の暖かい波長に、一気に心が安らいだ。
心持ちが落ち着く。
大丈夫、わたしのアンテナはまだまだいける。
7月17日(木)15時すぎ

浜川三味線店
冴えたアンテナの勢いは留まることを知らない。
曲がりたい道を曲がり、歩きたい路地を歩けば、こうして出会いが待っている。
浜川さんの三味線最高。
奄美の唄すごいな。
7月17日夜21時半

サバニチーム、かっこよかった。
会えてよかった。
これで奄美の目的達成。
やつらと共に幸せなカレーライスを食べたので、
わたしはもう旅立ちます。
いざ内地へ。
明日の朝には鹿児島だー
7月18日(金)朝

鹿児島新港、到着。
雨。何と雨。
何てことだろう、旅に出るというのに、雨ってものが全く考えになかった。
傘もカッパもない。
ああ、西表住民ともあろう者がカッパを持ってないなんて。
何たる不覚。
しかも港から駅が遠いらしい。
うーん。
悩んだ末に、小降りだし歩くことにする。
旅の友の我が三味線が濡れる。
三味線ごめん!
タクシーに乗る余裕はないのだ。
でも、てくてく歩いてると、何と向こうに路面電車が!
キャー、久しぶりに見る電車。しかも路面電車だなんて。
のりもの大好き。
乗るっきゃないでしょ、行き先なんて関係ないぜ。
7月18日(金)夜

ふぉっふぉっふぉ。
熊本ラーメンを食すなり。
やったー、念願の豚骨ラーメン。
何年ぶりだろ。
西表では食べられないので、帰京する度に食べようと思うんだけど。
ついついイタ飯優先。
で、いつも食べ損ねてたのだ、豚骨ラーメン。
まさか本場熊本で食べられるとは。
待っててよかった。
そしてお味は。
もう激旨。
こんな味だったんだねー、豚骨。
舌が記憶喪失になってたよ。
思い出した衝撃で倒れるかと思った。
おいしいねぇ。
実はお昼は鹿児島で、本場の黒豚トンカツを食べまして。
本日二度も舌に衝撃を与えております。
ああ幸せ。
ちなみに鹿児島では、温泉にも入りまして。
シャワーしかない西表住民としましては、湯船、しかも温泉なんて。
今日は体まで嬉しい衝撃。
2003年7月19日土曜日
佐賀県の鳥栖。
昨日の昼に鹿児島を出て、ずっと北上。
各駅停車でゆっくりゆっくり。
(18切符を使うつもりが、使用期間にまだ入ってなかったのが、財布にも気持ちにも、やや打撃)
ホントは博多まで出て、駅で三味線でも弾いて、そのまま眠ろうと思ってた。
でも人の縁って不思議で。
鳥栖で「おいで」って言ってくれる人が現れた。
そしたら今日の鳥栖は祭り。
「鳥栖山笠」といって、お神輿のようなものが、飛んで跳ねて練り歩く。
子供がたくさん。
鳥栖はいい町だ。
一方、博多は大雨洪水で大変らしい。
守られてるなあ。
7月21日(月)朝
まだ鳥栖(佐賀)。
初対面のわたしを、こうして3泊もさせてくれる家族がある。
暖かすぎて感謝の言葉じゃ足りない。
布団の中で寝ているだけで、人の優しさに包まれてるみたいだ。
昨日は博多で買い物DAY。
久々の大都会に大興奮。
絶対買わないのに、ルイヴィトンやティファニーにまで入ってしまったよ。
目の保養、目の保養。
たまにはね。
それにしても、大好きなショップやかわいい服のオンパレード。
興奮して歩きまわったので、今朝はとっても足が痛い。
やっぱり慣れないことはするもんじゃないねぇ。
島がいいよ(一応東京出身)
7月21日夕方

いよいよ長崎に向かう電車の中。
到着が夜になりそうなので、とりあえず宿を確保しようと電話をかける。
1軒目、満室。
2軒目。
「うちはいっぱいだけど、こっちにかけてごらんなさい。うちの紹介って言えば安くなるから」
と電話を教わる。
かけてみる。3軒目。
「満室なのよ。でもこっちにかけてごらん。うちが3000円で泊まらせろって言ったって言うとよ。じゃないと安くならんよ」
と紹介される。
何だ?長崎、こんな数珠つなぎ初めての体験だぞ。
で、かけてみる、4軒目。
「空いてるけどね、3000円?普通は4000円でね、外人さんでも3500円いただくんですよ」
「じゃあ3500円でお願いします」
ということで決まった福松旅館。
うーん、福が待つなんて素晴らしいネーミング。
ていうか、外人料金って何だ?
7月21日夜

長崎に着いた。
浴衣の人がいっぱいいる。
花火大会だ!
すっごーい!
こんなWelcomeあるだろうか。
長崎が大歓迎してくれてる。
聞けば打ち上げは20時50分からとか。
今が20時20分。
完璧。
7月22日

五島列島の福江島に向かう。
フェリーの中で何気なーく、
「ここ座ってもいいですか」
と聞いてみると。
そこから出会いが始まった。
自力でまわるには広すぎる福江島。
何とおじさんは午後から仕事が休みだという。
そして何と。
行きたいところに連れてってくれるとな。
うーん、まみぞう旅ミラクル。
必要なときに必要な人が現れる。
本当に福江島はバスでまわるのはきつかったのだ。
おじさんに感謝、ありがとう。
そして福江島は同じ島でも西表と全然違う。
海からガッと丘稜が広がったり、
連なる山には低い雲が立ちこめ、霧がかかり、水蒸気が上がる。
突然大きな岩肌が現れたかと思うと、
のどかな漁村が待っている。
北西にあるキリシタン墓地で三線を唄い、貴重なときを過ごした。
教会をまわり、思うこと。
わたしはクリスチャンじゃないし、信仰がどうとか難しいことはわからない。
でも確かに神様はいるし、
信仰心という「心」は、ただひたすらに美しくて尊い。
全てに感謝して眠ろう。
7月23日午前

全てはシーガル号から始まった。
シーガル号は福江島から隣の久賀島に向かう船の名前。
こいつがめちゃくちゃかわいくて、最高にかっこいい。
船体は黄色。
カモメのマークにサンゴのイラスト。
中に入るとこれがびっくり。
客室が半地下になっていて、窓から海の中が見える。
さらに屋上に昇ると、風をきる運転席が。
そして船員さん二人がとにかく優しい。
特に船長さんには、運転席のすぐ後ろの特等席に座らせてもらい、島の説明や楽しい話をいっぱいしてもらった。
行き先の久賀島では徒歩で一時間かけて「牢屋のさこ教会」という所まで行くつもりだったわたし。
すると船長さんは港に着くなり「ちょっと待ってて」
何と、知り合いをみつけて、乗せてもらえるよう頼んでくれた。
こうして、徒歩一時間のはずの道のりを、一歩も歩かずに辿り着いたわたし。
守られてるなあ。
7月23日つづき
かくして一歩も歩かず「牢屋のさこ教会」に辿り着いたわたし。
ここは、明治時代に弾圧されたキリシタンが監禁された地。
わずか20㎡(10畳くらい?)の牢獄に200人も押し込められ、座るどころか立つ足が床に着かないような中、何人も殉教していったという。
死んだ人からわいた蛆虫が足を這い上り、身動きの取れないままに腹を食われて死ぬような地獄。
それがここであったリアル。
今日のわたしはシーガル号からの幸せに、まだまだ気分が高揚してる。
このまま入っちゃいけない気がして、しばらく堤防に腰掛け、心を鎮める。
7月23日さらにつづき
いざ心を鎮めて足を進めると教会の鍵が閉まってた。
中に入れない。
でも外に殉教者の名を刻んだ碑がある。
ただただ祈った。
するとそこにガヤガヤと人が現れた。
シスターと神学校に通う外国人青年4名。
五島の教会を巡礼して回ってるという。
教会の鍵を持っており、わたしも中に入れた。
もうあきらめていたのに。
するとシスターが「よかったらどうぞ」
何とわたしは。
再び徒歩一時間の道のりを歩かず戻り。
さらに。
海上タクシーに同乗させてもらい、船の時間を待たずして福江島に戻れてしまった。
どうなってるんだ、この旅。
7月24日

長崎。
朝から力がみなぎっていた。
今日は我が祖母の故郷、浦上へ。
天主堂に着き、祈っていると、係の方が声をかけてきた。
「中にどうぞ。被爆マリアを見ませんか」
何てことだろう。非公開のマリア像だ。
どうして見られるんだろう。
びっくりした。
わたしが熱心に祈ってたから声をかけてくれたそうで。
ミラクル。感謝。
その後、浦上に眠る我が祖先の墓を参った。
もっと神聖な心持ちになると思ってたのに。
自分で驚いた。
お墓に着いた途端、笑顔があふれ、両手をあげて思わず口にした言葉。
「ただいまー!」
平和公園、原爆の爆心地で祈り、宿に戻った。
もうすぐ8月9日がやってくる。
その日も、こんなに暑い日だったのだろうか。
全ては心。
愛で溢れよう。
PEACE まみぞう。
7月25日昼
今朝早く長崎を出た。
旅はまだまだ続く。
けど、何だかもう、ひと仕事終えた気分だな。
ちょっと東京の実家に帰ってゆっくりしたいかも。
とか言いつつ、広島に向かうわたし。
今は下関を過ぎたところ。
各駅停車で駅弁を食らいながらの旅はステキです。
車窓が日本になってきた。
日本家屋に水田、山々。
樹々の緑が懐かしい。
西表にはない景色。
日本の四季は美しいなあ。
7月26日

昨日、広島に来た。
当初の予定(なんてないようなもんだけど)には全くなかった広島。
なのに、呼んでくれる人が現れた。
「よっしゃ、行くか」
ごくごく自然とそう思った。 で、来てみた。
そして長崎に引き続き訪れた「平和祈念公園」
全く無理せず計画もせず、この二つの地を訪れるには何か意味があるのだろうか。
ただただ祈る。
全ては心。
わたし達もあの人達も、いったい何を手に入れようとしてるのだろう。
何のためなら命を殺して許されるのだろう。
命というのは人だけじゃない。
実験という名の爆弾はどれだけの命を傷つけるのだろう。
わたしたちは地球の一部で、地球の中でただひたすらに循環してるのじゃなかろうか。 何かの命を絶つことは、自分の一部を傷つけること。そんなに鈍感になりたくない。
7月26日

船から花火を見た。(瀬戸内海採れたてのエビカニタコイカカイまでついた。幸せ)
広島市民球場で高校野球を見た。(瀬戸内高校中村くんのホームラン。惚れた)
広島風お好み焼きを食べた。(「とみえ」旨すぎ。お母さん大好き)
温泉に入った。(極楽極楽。でも3年間の沖縄暮らしでサウナに入れない体になってた。ショック)
広島最高。
この旅でいろんな人と出会い、離れてきたけれど。
こんなに離れるのが切ない場所は初めてです。
やっぱり人だな。
広島では、この旅だけで終わらせたくない人達に会えた。
BARスワロウテイル万歳。
新たな出会いと蝶々の旅立ちと誕生に乾杯。
7月28日昼

本日の昼めし、讃岐うどん。
やってきました、四国高松。
しかも用事これだけ。
旨い讃岐うどんを食べたので、朝来てもう本州に帰ります。
こんな自分が好き。
ちなみに写真の箸は「マイ箸」
この旅で持ち始めました。
いちいち割り箸はもったいない。
しかも、マイ箸って、持ってみるとかなり自分を好きになれる。
オススメ。
まだまだ持ち慣れなくて、コンビニとかで箸を断るの忘れちゃうけど。
地球にやさしく。ビバ地球、ピース。
7月29日
昨日から兵庫、加古川にいる。
すごいなあ、関西。
当たり前だけど、周りが全員関西弁。
そしてみんな突っ込みまくってる。
電車の連結ドアが開きっぱなしでパカパカしてれば
「いいかげんにしぃやー!」
注文したうどんが遅ければ、出てくる前に
「もう帰ろかー」って、わたしにしたら「えー!?」の連続。
今お世話になってる家でも、おじいちゃんと孫が、
「はぁ、親の顔が見てみたいわ」
「あんたの息子や!」
って、普通にぼけ突っ込み会話。
こんなの本当にあるんだーって、驚きと爆笑の連続です。
おそるべし関西。

