まみぞう旅日記2003年8月 関西・東京・沖縄編

8月2日(土)晴れ

兵庫、姫路城に行ってきた。
何と「世界遺産」とな。
確かに美しくかっこいい木造建築だった。
それにしても、
「開かずの間を公開!」って、どうなん?
開いちゃってるやん。

8月3日

何と、この旅最長の一週間も滞在してしまった、兵庫・加古川。
おじいちゃんと孫とわたしの三人暮らしは、かなり奇妙でハッピーな日々。
そして加古川最後の夜は、狙ったように「加古川花火大会」
すごいな、この旅四度目の花火大会。
空に祝福されてます。

8月5日

この旅日記、こまめに更新した方が、リアルタイムな楽しさが伝わっていいかなあ、と思っていたら。
友達に
「ちょっと間があいて、心配するくらいがちょうどいい」
て言われた。
そんなもんかね。
ちなみに今、大阪を出たところ。
一週間の関西滞在も終了です。
危うくインチキ関西弁をしゃべり出す所やったわ。
みんな、ようけしゃべる。
うちは変な関西弁が移らんうちに帰るよ。
ありがとうね、関西。
ほな、さいなら。

8月5日夜23時半

大阪を出て10時間。
各駅停車を乗り継いで、やっと着いたよ。
東京の実家。
途中、何と熱海ではまたも花火大会。駅のホームからもばっちり見えた。たった10分の乗り継ぎタイムがあんなに充実するとは。
そして着いたばかりの我が家では、いきなり両親から質問の嵐。
まあ、ろくに電話もしないから、親ですら、この日記が情報源。
そりゃ心配するよね。
開口一番「誰の所に泊まってたの?」だって。
「うーん。知り合いとか、知り合った人」
この答えで満足してくれて、どうもありがとう。
両親のおかげでわたしがあります。

2003年8月6日朝8時

あと15分。
広島では一分間のサイレンが鳴る。

黙祷しよう。
平和を祈ろう。

強い思いは現実になる。
願った平和は必ずこの手に。

8月8日

うーん、末広がりの良い朝だなあ。
東京の実家滞在も束の間、今日は長野に向かいます。
実はこの旅、あてもないようでいて、要所ごとに大切な用事があるのですが。
そのひとつが長野。
大事な友人に会いにいきます。
大事な人々が集まります。
導き、導かれ、それぞれの道を歩き、長野で何が起こるやら。
明日のわたしが何を感じ、何を見て何を聞くのか。
想像もつかない。
自分自身が楽しみです。

8月9日長崎の日。祈りましょう。

昨日から長野の美麻村にいる。
なぜ美麻村にいるか。
それは今日明日と、ここで小さな祭りがあるから。
この祭りは、わたしの大切な友人の呼びかけで始まった。
ことの始まりは去年の5月。
西表島でキビ刈りをしていた友人が海で亡くなったこと。
彼は音楽を愛し、人を愛し、自然をみんなを愛してた。
そんな彼に会えなくなってしまったことは、ある意味とても寂しいことではあるけれど。
だけど現実にわたしが彼に感じているのは、感謝、感謝、とにかく感謝。
彼の導きで、どれだけたくさんの人に出会い、どんなにたくさんの愛をもらったか。
そんな彼は今もみんなを導き続け、今日はお祭り。
やはり亡くなったミュージシャン、どんとのために、どんとの奥さん小嶋さちほさんも駆けつける。
生きてる人も死んでる人も、音楽を愛するみんなみんなのための祭りだ。
長野県美麻村、美麻遊学舎にて。
「虹のBON祭り」の始まり始まり。

8月11日朝

美麻村。
「虹のBON祭り」も終わり、さわやかな朝。
本当に良い祭りで幸せな2日間でした。
亡くなった友達はもちろん、亡くなったどんとも、わたしには特別な存在で。
西表島にいる友達、いた友達、みんなどんとが大好きで。
誰かの誕生日、誰かが島を出るとき、そして何でもないいつもの夜。
どんとの唄がそこにあった。
そんなどんとのパートナーさちほさんと、同じステージで共に唄えた。
昨日限りの沖縄民謡バンド(?)ミルク座を結成し、唄い踊り、「どんと院バンド」でもラストの「波」で一緒になれた。
特別な唄を特別な人と。
感謝

8月12日

移動日です。
長野から山形に向かってます。
なぜか月山(がっさん)に登ることになりました。
出会うままに、導かれるままに進んでます。

8月13日

月山。
雲の上にいます。

8月14日

ゆうべは月山(がっさん)頂上の山小屋で眠った。
月山はね、お盆で帰ってくる霊が集まる山なんだって。
一度集まってから、日本各地に散って里帰りするそうな。
昨日は山頂で、迎え火の神事が行われた。
なので、それに合わせて山伏(やまぶし)の人と登山。
山頂で護麻炊きをし、祝詞を捧げる儀式は、すごく神聖な体験。
山頂に着いた瞬間、虹も見た。
今日は月山のふもとで祭り。
山頂の「迎え火」を持ち帰り、その火が灯る中、夜通しで唄い踊る。

8月15日

ていうかさ。
山形も新潟も、どうしてこんなに寒いの?
西表の冬より寒いぞ、8月なのに。
3年半ぶりに、手がかじかんだ。

8月15日(終戦記念日)

出羽三山。
(月山、羽黒山、湯殿山)
この三つの霊山をまわった。
月山の登山、山頂への道のり。
羽黒山の五重の塔と、それを囲む杉林。
湯殿山の御神体。
どれもこれも神様の領域で、圧倒されっぱなし。
浄められると同時に、高められる感じがした。
何て言うんだろう。
圧倒的な力を前に、頭を下げると、下げれば下げる程に意識が細い線になって頭頂部からすーっと上へ持ち上げられる感じ。
かなり貴重な一日でした。
でも、それとは裏腹に山形名物「だだちゃ豆」(特別おいしい枝豆)のおいしさにはまってしまい、ひたすら欲望のまま食べ続ける、俗なわたし。
お腹が苦しい、助けてください。

8月16日

山形から再び長野の美麻村を目指す。
18キップ、楽しいけど遠いね。
各駅停車だけだからね。快速に乗れるチャンス少ないし。
昨日は5時間近くかかって新潟に着いた所で、休むことにしました。
そしたら新潟には麻の実アイスも麻ビールもあったよ。
やっぱりこれからは麻ですなぁ。
まみぞうの「ま」の字は「麻」って書くのよ。
いい名前。
そして新潟、いい所。
泊まるだけじゃ、もったいなかったな。
必ずまた来よう。
さっき久々に西表島に電話した。
毎日34℃もあるそうな。温度差15℃!帰るの心配。
そして沖尚が勝った、バンザイ!

8月17日

今日は石垣島で映画「白百合クラブ東京へ行く」の上映会がある日。(しかも白百合クラブのオンステージ付き)
これにどうしても行きたくて、この日までに帰ってこようと、
前売りのチケットまで買って、旅に出た。
なのになのに。
出発の日から一ヶ月と一週間。
寒い寒い長野におります。
雨の中これから「爺が岳」登山。
2800メートル位あるらしい。
山小屋に会いたい人がいるのです。
雨でも何でも、登らないことには島に帰れない。
白百合クラブはあきらめるさー。
縁があるならいつかは見られる。
今はとにかく登山登山。

8月17日夕方

爺ヶ岳、種池山荘。
山小屋の朝は早い、
と、わかってはいたけど。
朝どころか、ホントに夜まで早いんだな。
夕食5時で、朝食も5時。
さらに消灯が8時15分。
山小屋で働いたこともあるわたしだけど。
そんなに早かったっけな、て早さだな、こりゃ。
あとさ。
携帯がつながるのね、びっくり。
こんな2400メートルの山の上で。
アンテナ3本、感度良好。
西表島の我が家は何なんだって感じ。
家の中は、ほぼ圏外だっちゅうに。
そうそう、Jフォンさ、テレビでよく「ボーダフォン」とか言って、世界で通じるのをアピールしてるでしょ。
あれさ、見る度に思うんだけどさ。
Jフォンて、西表島は全くつながらないんだよね。
オール圏外。
西表島でつながるのは、かろうじてドコモとauだけだからね。
それとて危ういのに。
世界の前に、国内どうにかしてください、携帯会社のみなさん。
なんて、まぁ不便な位で丁度いいんだけどね。
という訳で、やってきました、爺ヶ岳。
西表島から会いに来たぞーっ!
そうです、ここには会いたくて会いたくて会いたかった、愛しのツヤがいるのです。
3月の日記を読んで下さった方はわかるかも知れない。
3月に西表島を卒業して去っていった我が友ツヤ。
ようやく再会できました。
さてさて。
これで、この旅の目的はほぼ達成されました。
あとはやることやって帰るだけ。
もう寒いのやだよー。
帰るよー。

8月18日

やっと信州そばが食べられた。
ていうか「日本そば」。
西表島では「そば」と言えば「八重山そば」。
八重山そば、大好きで毎日食べてたんだけど。
でも一応は東京生まれの東京育ちだしね。
たまには日本そばってやつが、恋しくなるのです。
でもさ、売店で売ってる乾麺は賞味期限が切れてたりするしさ。
基本的に誰も食べないのよね、日本そば。
それで、長野で食べるのを楽しみにしてたのです。
なのにタイミング合わなくてさー。
切なかったよ。すぐ近くにいるのに会えない君って感じで。
今日は雨の中を下山して、そばと温泉。幸せだー

8月19日

長野から再び東京の実家に向かう。
沖縄には電車がないのに、この旅は18キップのおかげで電車に乗ってばっかりだ。
(そういえば、わたしが旅に出ている間にモノレールが開通したらしいですね。まぁ沖縄本島のことで、西表島的には何の影響もないのですが)
初めの頃は車窓に食いついてたけど、今じゃすっかり居眠りタイムだな。
しばらく実家で、旅の疲れを癒やします。

2003.08.20.(WED)

東京の実家より。

西表島の我が家には、テレビもビデオもないため、
親に頼んで録画しておいてもらったビデオを見る。

「NHK のど自慢 石垣島大会」
「テレメンタリー」西表島のリゾート開発のこと。

考えちゃうな。
この旅で、地球に優しい人、できることからやってる人に
いっぱい会って。

もう1ヶ月以上も離れてる、我が西表島、我が八重山。

「のど自慢」で一緒に唄い、
「リゾート問題」では心が痛む。

ビデオでその空気に触れて、
やっぱり島を愛してる自分に気づく。
そしてもちろん地球まるごとを愛し、生かされ生きている自分。

大きな地球、大きな自然。
島の人の生活。

わたしに何ができるんだろう。

島に帰って、島のためにできること。
地球に生きて、地球のためにできること。

何も無理せず、背伸びせず。
わたしが幸せであるように。

2003.08.21

東京、人が多いなあ。

この旅で、博多も行ったし、神戸も大阪も行った。
だいぶ人ごみには慣れたつもりでいたけれど。
やっぱり東京は格が違うな。
渋谷も新宿も人ばっかりだ。

そして、意外と道路が狭かったことに気付く。
あんな狭い道路に人がいっぱい歩いてて、
対向車なんか来ちゃったら(ていうか、来っぱなしみたいだけど)
まみぞうの運転的には完璧にアウトですな。

西表でしか運転できません。
信号も十字路もなく、標識もなく、歩行者もなく。
ゴーカートみたいな西表の道が最高っす。
(ただ、ゴーカートだからって、スピードの出し過ぎには要注意。
深いカーブは曲がりきらんし、動物の横断も多いのです)

でね、今日は三軒茶屋で二本立ての映画を見た。
「ボウリング フォー コロンバイン」と
「WATARIDORI」
田舎者につき情報不足のまみぞうなので、予備知識ゼロで見たんだけど。
どちらも記録映画っぽく。
でも、全く違う映画。
よかったな。

前者では、銃問題から平和を考えたし、
後者では、ただひたすら渡り鳥が飛んでるだけなのに、
あまりの美しさに感動して、やっぱり命って自然ってすごいと思った。

島に帰ったら映画見られないし、今のうちに見ておかないとな。
帰ったらCD屋もないから、今のうちにレンタル借りてMDダビングしまくりだしな。
洋服や下着もつい買っちゃうしな。
文化があるってお金がかかるな。
(あ。文化って言葉、語弊があるかな。ま、いいか。伝わってください)

2003.08.24

東京の実家、今回の滞在最後の晩。

「お母さんの料理で何が好き?」
て聞かれたら、
「シュウマイ」
て答える。
うちの母のシュウマイはおいしい。
外で食べるシュウマイは別に好きでも何でもないけれど。
うちで食べる母のシュウマイは、わたしの一番の大好物。

だから今夜はもちろん「シュウマイ」
やっぱりおいしい。

こんな風に、しばらく会えないからって、
わたしの好物を作ってくれたりすると。
何だかちょっぴり切ないね。
「ああ、しばらく会えないんだな」
て、実感する。

家族が好きです。
大好きです。

昨日は愛する弟ふたりと一緒に、愛する母方のおばあちゃん宅へ。
今日もやっぱり愛する弟と一緒に、愛する父方のおじいちゃん宅へ。
そして夜は愛する両親と一緒においしいシュウマイを。

旅の疲れをばっちり充電。
家族からの愛はもちろん、
家族を愛する自分の気持ちに、自分自身が何よりパワーを与えられる。

わたしには、こんなに愛する人たちがいる。

離れるのは寂しいけれど、
どこにいたって、大丈夫。

8月25日

また来てしまったよ、関西。
相変わらずの各駅停車旅なので、まだ到着はしてないんだけど。
確実に関西圏内に入ってきてるね。
だって乗り換え駅で近くにいた夫婦の会話。
「また降りるんかいな。今、上ったばかりやで」
「しょうがないやろ、隣のホームなんやから」
だとさ。
こういうの聞くと、そうそうこれこれって、関西に来た感じするよな。
東京でこんな文句言う人いないもんなー。

8月27日

神戸しあわせの村
芝生で本を読んでいます。
この旅はとても忙しく、こんな時間がなかったなぁ。
深呼吸が大切。

8月29日

那覇、月光荘。

ドキドキする。
一ヶ月以上ぶりの沖縄。
さっきまで関西にいたのに。
飛行機ってすごいな。
この旅はずっとゆっくり移動してたから。
飛行機の速さについていけない。
旅がいよいよ終わりに近づいてる現実に、一気にぽんと放りこまれた。
ちょっと外をうろついて来ようかな。
久々の南国の空気、でも西表島の日常とは違う、まとわりつく感じの人の匂い。
そういう空気を吸って、少しずつ現実を受け入れよう。
ここは沖縄。
もうすぐ旅が終わる。

8月30日

那覇。
宮古のそばは、具が麺の下に隠れている!
と言うのは本当だった。
あら、びっくり。
八重山そば(略して「そば」ね)が大好きなわたしとしては、旅に出て一ヶ月以上もそばを食べてないなんて。
かなり驚きの事態なのである。
そば、食べたい。
西表島に帰るまで楽しみにとっておこうかなぁとも思ったけど。
せっかくの沖縄本島だしな、沖縄そばでも食べてみようかな、とウロウロしてた訳さ。
そしたら沖縄そばより先にみつけちゃったんだな、宮古そばの店。
ここは全然宮古じゃないんだけどさ。
一度食べてみたかったのだ、噂の宮古そば。
だって、具がないとか、麺の中に具が埋まってるとか。
まさかそんなそばが本当にあるとは。
驚いたよ。
「ホントだー!」て思わず声が出た。
しかもおいしかった。

8月30日昼

沖縄本島、斉場御嶽(セイファウタキ)へ向かう。

神様とか導きとか、とにかく自分より大きな大きな力を感じまくった、この旅。
締めくくりに、沖縄の聖地にあいさつを。

本当に全てに感謝。

いろんな出会いや気付きはもちろん、何よりこうして無事に健康で帰ってこられたこと。
全ての瞬間にありがとうです。

沖縄の空はこんなに青かったんだなあ。

8月30日夕方

沖縄に初めてできた「電車」モノレールに乗ってみた。
ずっと「あんなもん作ってどうするんだろう」て思ってたけど。
意外にいいかも。旅行者としては、空港と国際通りの往復を、
1.時刻表を気にせず(大体10分おきに来るので)
2.国際通りの渋滞を気にせず(バスははまる)
街に出られるってのは、かなり楽チン。
あと、国際通りの真ん中(牧志)や向こう(安里)で、飛行機の時刻ぎりぎりまで買い物してても、バスターミナルや久茂地まで歩かずに空港に戻れる。
しかも安い。(260円くらいだったかな)
ナイスです、モノレール。
眺めもいいし、上手に使おう。
でもやっぱり沖縄県民は電車に慣れてないのよね。
改札を入ったところで、ホームに上るエスカレーターがわからず、おじさんが迷子になってた。

8月30日夜

とうとう石垣島。帰ってきちゃったな。
飛行機の中、夕日に染まる雲の上から西表島がはっきり見えた。
西表、新城、黒島、小浜、竹富。
あんまり美しくて動揺した。
わたしの帰ってくる場所はここでいいのか。
この旅で、ステキな所はいっぱいあった。
けど、住みたいって思える所には西表の他に出会ってない。
それでもここでいいのかって思う。
夜は石垣の素泊まり宿「やしがにハウス」
他のゲストハウスと違って、この宿は、家族、しかも子供みたいな気分になれる。
あったかい。
さっきまで考えてたことを忘れる。
帰ってきてよかった

2003年8月31日

ただいま。
西表島の我が家。

久しぶりの西表に、
もっとドキドキするかと思ってたけど。

意外に普通。
たぶんもう、染み付いてるんだな。
違和感がない。

東京の方がドキドキしたもんな。
あと、旅に出て最初の那覇もドキドキした。

帰ってきたら、やっぱり「色が白い」て言われた。
よかった。

ていうか、この旅で出会ったみなさんに言いたい。
「わたしは島では色白なんです」

旅の間「やっぱり黒いね」と言われる度に
「これでも島では色白なんです」と言い続けてきた。

でもそれは内地では冗談にしかならなくて。
何度「またまたー!」と、笑われたことか。

見事に九州に上陸した途端に変わったもんなあ。
奄美までは「島に住んでるわりに白いね」と
言われ続けたわたしが、
鹿児島に着いた途端「黒っ!」と言われまくり。
結構ショックでした。

けどよかった。
島に戻ったら「色白まみこ」に元通り。
わたしは何も変わってないのにね。

2003.08.31.

旅日記の最後に、この旅を振り返ります。
ありがとう。

7月10日に西表島を出発し。

船で沖縄本島へ。
浦添に泊りつつ、
那覇や北谷で、都会の空気を楽しみ、
バスで北部へ移動し。
名護のゲストハウスではゆったりとした最高の時間を過ごし、
今帰仁、本部から船で奄美大島へ。

奄美大島では、
ちょっと鈍りかけた旅のアンテナが、
再び冴え渡る瞬間を感じる、貴重な体験。
偉大なチャレンジをした友人を迎え、
またも船で、鹿児島へ。

鹿児島で黒豚とんかつを食し、
熊本で豚骨ラーメンを食べた。
佐賀で新しい出会いがあり、
暖かい家族のもとで、1週間近くも居候。

長崎では、奇跡のような出会いの連続。
行く先々で、いろんな人に助けてもらった。
福江島、久賀島、必ずまた行こう。
浦上にはわたしの先祖が眠る墓がある。
あの出会いの連続は、本当に守られていたのでしょう。

長崎で平和を祈った翌日、広島へ。
期せずして、この2つの地を巡る。
広島で出会った友と、
平和について語り明かした夜を忘れない。

岡山の友人宅に1泊。
3年前に、西表島に行くときにも泊らせてもらった家。
家族で囲む食卓、味噌汁の幸せ。

讃岐うどんを食べたくて、
ただそのために、瀬戸内海を渡り、高松へ。
その日の夕方には神戸へ向かう。

加古川で過ごした1週間。
友人のおじいちゃん宅に居候。
朝からおじいちゃんと喫茶店でモーニング。
姫路城へのデートも幸せ。

去年亡くなった友達の導きで、いろんな場所をまわり、
いろんな人と出会う。

大阪の店「天人」では、人の縁の凄さを感じ、
神奈川の実家で、ご両親の愛を思い、
長野、美麻村では最高の祭り、数々の出会い。
山形、月山に登り、大きな力を体で感じる。
新潟に1泊し、
再び長野、爺が岳登山。
山小屋に着いた瞬間の「旅が終わった」感覚。
確かにあそこまで、何かに導かれてたんだなあ。

東京の実家。
家族と過ごす幸せな時間。
家族があって、わたしがある。

島に帰る前に、
この「まみぞう日記」を通じて知り合った人々に
お会いする機会が続出。

大阪、神戸、石垣島。
素晴らしい出会いに、この日記を「書いててよかった」としみじみ。

沖縄本島、斎場御嶽で、この旅の全てのお礼を言い、

8月31日、西表島に戻った。

ああ。
つくづく、何とたくさんの出会いや導きがあったことだろう。
何を言っても、言葉が足りないけれど、
ひとこと言うなら、
「ありがとう」
とにかくそれに尽きる。
ありがとう、ありがとう。
全てのものに、全ての人に、全てのことに、
ありがとう。

これからもきっと、ありがとう。
わたしはこんなに幸せです。