あじさいに気付く。  2004年6月10日(木)

自分のパソコンが、ようやく実家でつながった。

4月上旬に西表島の東部を出たとき以来だから、2ヶ月ぶり。
これで写真も載せられる。

2ヶ月の間、写真のない日記を読んでくれてありがとう。

東京は梅雨入りしてから、あじさいがきれい。

あじさいには、こんなにたくさんの種類があったのかと、
生まれて初めて気付く。

4年間、西表で暮らしたおかげで、
辺りに咲く花、植物、
風の向き、温度、湿度。
そういうことに意識が向くようになった。

東京に帰ってきて約2週間。

久しぶりに自転車に乗って街を走ったとき、
「速さについていけない」
と思った。

気を付けなくてはいけないことが多すぎて。

後ろから追い抜いてくる自動車の連続、
前を歩く子ども達、
曲り角ではバイクも車も続々と来るし、
信号待ちの間も、右折車、歩行者、
注意するべきことが多すぎて、
どこを見て走ったらいいのかわからなかった。

「風を感じる暇もなーい!」
と、思わず叫んだ。

「以前はあじさいの種類に気付かなかったのも当然かな、
前から横から後ろから、
常に神経を張っておかないと、
いつ何が迫ってくるのかわからないんだから」
そう思った。

だけどそうじゃない。
どちらかしかできないなんて、そんなことない。

2週間暮らしてみて。
「これって、訓練かも知れないな」
と考えるようになった。

最近は、神経を配ることにも慣れてきて、
先を読みながら自転車に乗れるようになってきたし、
且つ、あじさいの色も、風の向きも、
少ーしずつだけど、感じられるようになってきた。

沖縄に行ったことで、
「風を感じること」は身に付けてきたけど。

街を歩くときに、自然にできていたはずの、
「配るべき神経」は、
かなり鈍らせてきたみたいだ。

沖縄に行って、暮らして。
「得たもの」「気付いたもの」ばかりじゃない。
「失ったもの」も「鈍ったもの」も、
いっぱいあるんだな。

鈍っていた神経を、感覚を取り戻してあげれば、
東京の街でも、
ちゃんと季節を感じられる。

せっかく感じる力を身に付けてきたんだから。
ひとつ身に付けて、ひとつ鈍らせるんじゃ、
もったいない。

人間の力はすごいのだ。

いろんな力を身に付けて、
いろんな神経を研ぎすませよう。