
東京の空はきれいだ。
島にいるときより、
ずっとずっと強くそう思う。
空がきれい。
それは、4年前、島に行く前から思ってた。
空が、好きで、好きで、大好きで。
雲が流れているのを見ていれば、
何時間でも、そこにいられた。
空からパワーをいっぱいもらった。
空を見ていると、
「あー、いつでもわたしは、こんなすごいものの下にいるんだ」
って、大きな宇宙を全身で感じた。
だけど、島に行ってからは、その逆で。
空がそこにあるのが当たり前すぎて、
「ものすごい」と感じることが、なかなかできなくなった。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、大地の力。
それらは常に生活に密着していたから、
そうやって実際に自分に働きかけてくるものにばかり目が行っていた。
「ただそこにある」ものを、
感じる余裕がなかったのかも知れない。
だけど今、東京に帰ってきて、
幸か不幸か、月夜も闇夜もあったもんじゃない。
空は、その働きを見せてくれず、
「ただ、そこにあるだけ」だ。
高い建物に囲まれて、人の溢れる街なかを歩いてるとき、
ふと青い空が目に入る。
真っ赤な夕焼けが、ビルの谷間に見える。
そうすると、
「ああ、わたしがこうして、ただ歩いてる間にも、
空はでっかく、そこにあるんだなあ」と。
「わたしはいつでも、このすごいものの下にいるんだなあ」と、
思わず立ち止まって、でっかい宇宙を体で感じて、
深呼吸してしまうのだ。
だから、都会も悪くない。
その場所には、その場所で感じられるものがある。
わたしの感度は、いつでも全開。
(だといいなあ)

