長崎に思う。  2004年8月22日(日)

8月9日、長崎に原爆の落ちた日。
約10キロの道を、巡礼団と歩く。
午後は、原爆祈念資料館を見学。

59年前に落ちた核の威力はもちろん、
今もなお繰り返されている、
「核実験」へ、
理解不可能な憤りを感じる。

何のために、核実験は繰り返されているのだろう。

これ以上、性能を上げて、どうするんだろう。

ていうか、「性能を上げる」って何だろう。
「人をたくさん殺せる」爆弾を作ること?

一人でも多くの人を殺すために、研究を続けているの?

誰一人殺さなくていいやり方を発明しようよ。
そのために努力しようよ。

59年も昔の爆弾でさえ、あっというまに
20万人の命を奪った。

現在の、研究が進んだ爆弾は、いったいどれだけの命を奪うの?

「実験」だから、人の命は奪ってないかも知れない。

だけど、その爆弾は、地中や海中で、
確実に地球にぶつかっている。

地球って何て強いんだろう。

たった1発で20万人の命を奪う爆弾を、
「実験」という名で、
何千発も受け続けている。

地球にダメージがない訳ない。
痛々しすぎる。
ケガをしても、ケガをしても、まだわたし達を包み込んでくれる、
母なる地球。

いつまでもそれに甘えて良いわけない。

もう、親(地球)を痛めつけるのはやめよう。

核実験なんかいらない。