わかってないと慣れない「袋」  2003年4月30日(水)久々に雨で肌寒い。

そういえば、運動会の前日。

「明日、運動会に行くんだー」て言ったら、
おじいに
「寄付は用意したか?大人なんだから、ちゃんと持っていかないと恥ずかしいぞっ」
て言われた。

そうなんだよねー。
こっちはなにかと寄付があるんだよねー。

「運動会」といえば、寄付。
「保育所のおゆうぎ会」といえば、寄付。
「祭り」といえば、寄付。

寄付、寄付、寄付。
こっちのイベントはみんな寄付で成り立ってる。
(のだと思う)

とは言っても。

内地の寄付とは感覚が違う。
何千円も包む必要は全くなくて。
束で売ってるご祝儀袋に、ぺらっと千円。
(まあもちろん、時と場合によっては三千円だったり五千円だったりもする)

ホントにあいさつ代わりなんだな。

「こんにちはー」て、受付でご祝儀袋を出して、
交換でプログラムをもらう。

こういう習慣、東京ではないよな。

ご祝儀とはちょっと(いや、全然)違うけど、
お葬式や法事なんかの「ご霊前」(お悔やみ)も、東京の感覚とだいぶ違う。

とにかく法事が多い、多い。
みんな知り合いで親戚ばかりなもんだから。
「来週はどこどこの7回忌だ」
「もうすぐだれだれの3回忌だ」て、法事のスケジュール満載。
それがみんな「ばあちゃんの妹の旦那」だとか、
「弟の嫁さんのじいちゃんの兄弟」だとかで、みんな親戚だったりする。
何度聞いても覚えきれん。

で、それにみんな「ご霊前」を包むんだけど。
これもぺらっと千円札。

それが家族に兄弟が多いと、
「わたしも」「ぼくも」と、一家で袋が3枚も4枚もになったりする。
さらに、実際には法事に足を運べない近所の家の分まで預かったりして。
法事に行くのに、袋の束。

こっちでは、
お祝いだろうとお悔やみだろうと、
軽く包むのが当たり前。

まさにこれが「慣習」だから、
よそもののわたしなんかは戸惑うけれど、
わかってくれば、これはなるほど、あったかい。
(自分も相手も負担にならない心遣い、これがあるからつながりも続く。隣りの顔を知らないなんて有り得ない)

よそものがわかってないのを知っているから、
「寄付は用意したか?」て、おじいの一言。
これまたとってもあったかい。

こうしてホントに少しずつ、わかっていって、馴染んでいくのだ。