去年の秋、一人で南米を旅していた。
とても好きな彼がいて、
地球の裏側から、いつも彼を想ってた。
(今は別れて、よい?友達)
彼を中心にまわる世界は、
精神衛生上、とても不健康だったので、
「もし彼がいなければ」
「わたし一人で立つならば」
そんな仮定の未来を、一生懸命描いた。
西表島での生活は。
山から、森から、海から、人から。
教わることが多すぎて。
いつまで暮らそうが飽きることもないし、
月や太陽と共に生きて、
季節や虫、土と付き合う日々があれば、
地球のサイクルが、こんな風に日常にあるのならば。
もう、この営み以上に何かを求めることなんて、
無意味だと思った。
だけどわたしはバカなのでしょう。
同時に「このままで終わるわたしじゃないはず」って、
ファイトが沸々と湧いてきた。
島での暮らしを、この上ないものと理解しながら、
このままじゃ終われないと、悶々とするわたし。
矛盾だらけで意味わからん。
旅をする中で起きた、数々の出会いや奇跡。
島にいるときには、あまり聞こえない、
「心の声」「導かれる感覚」
なぜか、旅に出ると、研ぎすまされる。
島で生きる人々の
「大地に根を張って生きる姿」は、
それを持たないわたしの、
ないものねだりの憧れなのかも知れない。
自分は「風」で、「土や大地」には、なりたくてもなれない。
島にいると、
山や海がそこにあるように、
男女が共にあって、家族を営んでいく姿が、
当たり前に美しいのだとわかる。
そこで一人で生きていく自分。
染織や畑など、この島との付き合いに懸ける何かがある訳でもない。
島にいる限り、今のわたしは
「家族」や「懸ける何か」を持った人々を、
うらやみ続けてしまうのでしょう。
そんなのイヤだから。
誰かをうらやむ人生なんて、まっぴらごめん。
わたしの人生が最高だ、と
胸を張って、他でもない自分自身に言えるように。
こんなに好きな島を離れて、
自分の歩く道を探す。
周りに、かっこよく生きる人々があふれる中、
未だに道を探してる自分は、
いつまでもお子様で情けないけど。
今はこれでいいのだと信じて。
新しく出会えた彼との未来。
京都でこもる、瞑想の10日間。
静かに波が訪れています。
そういえば、島から離れるこのタイミングで、
これまでになく、
八重山関係の本に掲載率の高いわたしです。
「月刊やいま」(南山舎出版)に、
5月号から、島のコト連載スタート。http://www.jaima.net/
島を離れても続けます。
毎月1日発売。
よかったら読んでください。
あとは、
「やえやまガイドブック2004」「うるま」などに、
顔写真やら何やら。
いっぱい載ってるけど、八重山にいません、すみません。

