国境越え
ボリビア、行っちゃったよ。
お父さん、ごめんなさい。
おじいちゃん、ごめんなさい。
今のボリビアは危ないから行かないって、言ってたのに。
でもね、危ないのは、首都ラパスの周辺だけみたい。
ラパスについては、危ない噂をいっぱい聞きます。
この1ヶ月で60人死んだとか、銃撃戦があるとか。
ラパスに5年住んでるっていうフランス人からも
「普段は静かでいい町だけど、今月だけは危なくて外に出られないよ」
と直接聞いた。
だからもちろん、ラパス周辺には行かないよ。
ただ、チチカカ湖というところは、
ほぼ真ん中に、ペルーとボリビアの国境があり、
わたしのどーーうしても行きたかった「太陽の島」(Isla.Del sol)は、
ボリビアサイドにあるのです。
「行くっきゃない!」と思い立ち、
朝の8時に、コレクティーボ(乗合ワゴンバス)に乗り込んだ。
インディヘナの民族衣装を着た(それが普段着)おばちゃん達と、
朝ご飯を物々交換したりしながら、車に揺られ、3時間。
「ユングーヨ」という国境近くの町に到着。
さらにそこから、自転車タクシー(人力車の自転車版みたいなの)に乗って、15分くら
いかな。
ついに国境。
やりましたよ、とうとう。
初の「陸路で歩いて、国境越え」
観光客用のバスに乗れば、楽ーに国境まで連れて来てもらえるはずだったけど。
庶民の味方のコレクティーボ(5ソル=約200円弱)で、自力で来たから、
やったー、かなりの達成感。
どんどん気分が高まってます。
ペルーに戻らず、このままチリ、アルゼンチンと、がんがん南へ進んで行ってしまい
そう。
そして着いた「太陽の島」
ボリビアが危ないなんて、嘘のような。
平和でのどかな島でした。
アルパカの群れに、羊飼いの少年。
段々畑を登りきると、チチカカ湖の向こうにペルーの山々。
何より、隣に見える「月の島」(Isla.de la luna)が、美しかった、幸せだった。
お父さん、おじいちゃん、そしてみんな。
来てよかったよ、ありがとう。
一見、不幸に見えること
やっぱり、自分で決めた約束(ボリビアには行かない)を、
破ったのが、いけなかったのかなあ。
高まる気分とは裏腹に、ちょっとした不幸なできごとの連続。
まず、ボリビアサイドの町「コパカバーナ」に着いてすぐさま、
靴ひもを踏んで、思いっきり転んだ。
しかもあごから。
(外傷こそないものの、数日たった今でもズキズキ)
で、次に時計が壊れた。
(いつもは時間なんて気にしないけど、
このときばかりは船の時間があったから、ちょっと困った)
さらに「太陽の島」でお腹をこわして。
(ここも3800mの高地だから、夜はベッドから1歩も出られないくらい寒いのに、
がんばってトイレまで、懐中電灯を持って震えながら歩いたよ)
きわめつけが、例の「犬に噛まれた」事件。
全てボリビアで起こったことだもんなー。
これで「気分が最高」じゃなかったら、かなり落ち込んでたかも。
ハッピーなことにさ、本当に気分が最高なんだよね。
「コパカバーナ」の町には、ちょっとした小高い山があって。
40分くらい、ハアハア登ると。
もう、何度ため息をついても足りないような、美しい景色が広がる。
足元にコパカバーナの町を見下ろして、碧い、碧いチチカカ湖。
ぽかぽかの日差しに、思わずうたた寝。
目が覚めたとき、気がついたら唄をうたってた。
全ての「不幸に見えるできごと」が、
わたし自身の「浄化」にさえ思える。
そして。
こんなに幸せな中、今度は。
カバンのファスナーが壊れました。
いつまで「浄化」は続くのでしょう。
日本人に会わない
つくづく日本人に会わないなあ。
英語もスペイン語も、ままならないわたしなのに、
ここ何日も、英語とスペイン語しかしゃべってないよ。
日本人って、世界中どこにでもいるもんだと思ってたけど、
ペルーにはあんまり来ないのか?
と、思いきや。
道すがら、ペルー人に「コンニーチワー」「アリガートー」なんて、
はやしたてられたりする。
来てんだな、確実に。
会わないだけか。
日本人どころか、東洋人を全く見ないから、
この間、韓国人と同室になったときなんて、やけに親近感。
英語の下手さ加減が、また親しみ湧いちゃうんだなぁ。
お互い下手くそなEnglishで、この旅の様子を必死にまくしたて、
端から見たら、さぞおかしな光景だったことでしょう。
そう。
旅をしてると、スペイン語圏なのに、意外とEnglishの機会が多い。
買い物したり、タクシー乗ったり、ペルー人と話すときは、
もちろんスペイン語なんだけど。
船の中、電車の中、バスの中。
そして宿の部屋。
旅行客はみんなEnglishなのよね。
フランス人も、ドイツ人も、ブラジル人も。
そしてわたし、日本人も。
母国語じゃ通じず、スペイン語もままならず。
うーん。
観光客とのEnglishより、
今はペルー人とのスペイン語が楽しいんだけどな。
そろそろ旅を中断して、(動き回るのやめて)
腰をどこかに落ち着けてみようかな。
ペルー人と、交流、交流。
楽器はじめます

「サンポーニャ」という楽器をご存知ですか?
細い竹筒が、6本と7本、背の順で2列に並んでる。
笛です。
この笛をね、買っちゃったー。
音痴のまみぞうが始める楽器、「三線」に続く第二弾。
何と「サンポーニャ」
でも「サンポーニャ」とは呼びません。
正しくは「シク」
「シク」はアイマラ語。
「シク」は、アイマラ語を使う、チチカカ湖周辺の民族が使う笛。
「サンポーニャ」とは、スペイン語であって、
その土地の人は「シク」と呼ぶ。
だからわたしも「シク」と呼ぼう。
この「シク」を始めるにあたって。
ああ、わたしはどうしてこんなについているんでしょう。
お店の人にね、
「これを買うから教えてくれない?」
と、ダメはもともと、聞いてみた。
そしたら彼は、その日たまたま店番をしていたミュージシャン。
「シク」ではないけれど「笛」の専門家。
本職は、陶器(セラミカ)製の縦笛(ケーナ)奏者で、
店に並んでいた、アンティークの様々な笛たちも、
全て見事に吹きこなす。
(わたしはもう、うっとりしつつ、ひたすら「Mucho lindo!」(すっごくきれい)の連呼)
その彼が
「OK、僕が教えるよ」って。
今日がそのレッスンの初日だったんだけど。
丁寧で、優しくて、楽しい!
しかも無償で、しかも下心なし、と来たもんだ。
これ以上の先生がいるでしょうか。
最高のAmigo(アミーゴ、友達)で、最高のProfesor(プロフェソール、先生)を、
みつけてしまったよ。
帰るまでには、ちゃんと「コンドルは飛んでゆく」くらい
吹けるように頑張るからねー。
インカ帝国の首都・クスコの日常

「クスコ」に来てから、約1週間。
やけに忙しくて、楽しーい。
忙しいって言っても、特にイベントがある訳でなく。
日々の生活が、ムーチョ忙しい。
(ムーチョはMucho、すごくってことです。どんどん変な日本語になる)
スペイン語を教えてくれるAmiga(アミーガ、友達)が急に増えたからだな。
わたしの暮らすHostal(ホスタル、宿)の真向かいにある、旅行会社。
そこで働くNoemi(ノエミ)姉さんは、いつもひとりで、
客がいないとかなり暇らしく。
わたしの顔を見ると、
「Mamiko,Come o—-n! Sit down,sit down!」
(まみこー!こっちに来て、いいから座れ、まあとにかく座れ)
と、英語で(しかも笑顔で)中に招き入れ。
いざ座ると、今度は「スペイン語の鬼コーチ」へと変身する。
わたしのノートに、ひたすらスペイン語の動詞活用を書き連ね、
(スペイン語って、一つの動詞で軽く20通りも形を変えちゃうんだよ)
一区切りついたところで、わたしに声を出して暗唱させる。
上手に読めると「Muy bien」(ムイビエン、よくできました)と、
褒めてくれて、それは嬉しいんだけど。
すぐ次に行っちゃう。
「えーっ!?1回じゃ覚えきれないよー」と
文句を言う暇もなく、次の単語へ進み。
気がつけば、ノートびっしり動詞の活用表だらけ。
「じゃあ、Noemi、今日はどうもありがとう」
なんて席を立とうとすると、
「Mamiko、もう疲れたの?」
なんて、もう1回座らされちゃったりして。
へとへとに疲れてHostalに帰ると、復習する元気もなく寝ちゃう。
翌朝「これじゃいかん。せっかく教えてもらっても、
復習しなくちゃ身につかん」と、
Hostalのロビーの机に向かっていると。
今度はHostalの従業員、Tina(ティナ)の登場。
わたしのノートをちらりと見ると、
「ふうん、昨日はこれを教わったのね。
じゃあ、わたしはこれを教えてあげる」と、
これまたノートに新しい言葉たち。
「Noemiに教わった動詞の復習もしたいけどなぁ」
と、内心は思いつつ。
目の前でTinaに「Practical,Practical」(プラクティカル、練習練習!)
と、微笑まれると。
ついついTinaから教わった言葉だけ練習しちゃう。
そうこうしてるうちに、「シク」(笛)の先生、Alfred(アルフレッド)が現れ、
約1時間の音楽タイム。
気づけば、昼はとっくに過ぎて、お腹ペコペコ。
ごはんでも食べようと、外に出ると、
向かいのオフィスから、Noemiの声が…。
「Mamiko-! Come o—n!」
あーーーーー。
忙しい。
この繰り返し。
ムーチョ楽しい、クスコの毎日。
マチュピチュへの道

いよいよ「マチュピチュ遺跡」、行ってきます。
11月8日から11日まで、3泊4日のトレッキング。
「インカ道」と呼ばれる、今から約500年も前に滅びた、
インカ帝国時代の道を歩く。
2日目には何と、7時間以上もかけて、
標高4200メートルの山越え。
大丈夫でしょうか、わたし。
今、約3400メートルのクスコで、階段を昇ってはハアハア言ってるのに。
キャンプ生活を3泊するのも、初めて。
防寒のこととか、持ってく水の量、再びかかるかも知れない高山病やら、
デジカメの充電などなど。
心配し始めたら、いろいろキリがないけれど。
とりあえず、いってきます!
(トレッキング中の日記更新は、書き溜めておいたぶんを、
日本にいる愛すべき我が友がやってくれる。感謝!)
市場のジュース

Mercado(メルカド、市場)大好き。
「治安が悪い」と人は言うけれど。
確かに「盗み」は多いっぽいけど。
歩いていると、
「セニョリータ、セニョリータ!」(ちょっとそこのお姉ちゃん!)と、
あちこちから
「買ってけ」「寄ってけ」「飲んでけ」「食べてけ」の声が飛び交い、
とにかく楽しい。
すっごく広い敷地の中に、
肉屋コーナー、魚屋コーナー、八百屋コーナー、雑貨屋コーナー、
それぞれが固まって、ずらーーっと何十軒も並んでる。
毎朝とりあえず、ジュース屋通りに足を向け、
何となく目が合ったおばちゃんの店に座る。
ミックスジュースを注文すると、
目の前のミキサーに、入るわ入る、
新鮮な果物たちが何種類も。
リンゴ、パパイヤ、パインにバナナ。
途中でパインを一切れくれたりして。
で、そのパインのおいしさに気を抜いてると、
おばちゃんの右手には、いつの間にやら、コップに水が。
今にもミキサーに注がれようとしている。
あわてて「ノーアグアーーッ!」(水は入れないでーっ)て叫ぶ。
やっぱり生水は怖いからね。
気を付けなくちゃ。
そうすると、ジュースを作るには、やっぱり水分が必要なので。
おばちゃんは
「オレンジにする?にんじんにする?それとも牛乳?」
と聞いてくる。
ので「にんじーん!」と答えると。
今度は別のジューサーに、大量のにんじんが投入される。
そもそもにんじんって、そんなに水分ないもんね。
コップ一杯のにんじんジュースを絞り出すために、
たぶん20本近くは使ってるでしょう。
こんなにたくさんのにんじんを、一度に摂取する機会って、
日本じゃなかなかないよね。
で、完成したミックスジュースは、
いわゆる家庭用のミキサーに満タン。
大きいコップに軽く3杯以上。
それが全部わたしのぶん。
1杯でいいのに、わんこそばのように、
飲み干すと次のジュースが注ぎ足される。
お腹たぽたぽ。
だけどこれが旨いんだ、砂糖も入れないのに甘くって。
これで、2ソレス。(約70円)
やっぱりメルカド、やめられませんなあ。
戸締まり用心

ペルーには泥棒が多い、らしい。
「らしい」というのは、わたしがまだ会ってないから。
会ってないのに、なぜわかるかと言うと。
この国の戸締まりが、厳重かつ頑丈すぎるから。
特にリマかな。
田舎に行くにつれ、戸締まりはゆるい。
まず、リマでは全ての店に、檻(オリ)がついてる。
シャッターじゃなくて、オリ。
開店してるのに、オリは閉まってる。
オリは閉まっていても、店は開いてる。
水1本買うのに、オリごしに手を突っ込んでやりとりしたり、
インターネットするのに、
オリをガンガン叩いて「Hola! Hola!」(こんにちはー!)と叫んで、
店員にドアを開けてもらったり。
そうまでして戸締まりしないと、
持ってちゃう方がいらっしゃるってことなんでしょうね。
店だけでなく、家でも宿でも、みんなそう。
どこの家もオートロックで、頑丈な扉がガシャンと閉まる。
それが外壁。
その中にさらに家がある。
開けてもらうには、インターホンを、ピンポンピンポン鳴らさなくてはならない。
その「インターホン」すら盗まれちゃうらしく、
オリの中に設置されてたり、壁に埋め込まれてたりする。
オリの中に手を突っ込んで、ピンポン鳴らす。
宿の部屋でも、3階なのに、窓を開けっぱなしにすると注意される。
そして「鍵を内側からかけておいて」と必ず一言あり。
じゃないと、入ってきちゃう方がいらっしゃるんでしょうね。
3階なのに。
とにかく全てがこの調子。
盗む人がいるのは当たり前。
盗まれないようにするのが、大切。
ここで暮らしていくなら、基本で、常識。
アメを売る人

ペルーには貧しい人が多い。
かと言って、ただ座って物乞いする訳でなく、
たくましく商売しちゃってるのが、すごい。
(ただ座ってる人もいるけどね)
1番多いのが、「飴(アメ)を売る人」かな。
アメってさ、あの日本でもよくある、
袋入りのいっぱい入ってるやつ。
あれって、1個ずつ、個分けに包装されてるでしょ。
だから彼らは、開封された大袋を持って歩いて、
道行く人に「一個どう?」って聞いてまわるのだ。
日本なら、知り合い同士でよくみかける光景。
アメやガムを食べる人って「一個どう?」って、よくやるよね。
それがペルーでは、商売になっちゃうんだなあ。
「一個どう?」って言われて、
「ありがとう」なんて手を出そうものなら、
すぐにお金を請求されちゃう。
まあ、でもそれはそんなに悪いことじゃない気もする。
こっちだって、公園のベンチで休んでて、
アメ玉のひとつも欲しいときはあるさ。
そんなときに、アメをひとつ買うことは、まさに Give and Take (需要と供給)。
ただ「恵んであげる」のと違って、
きちんと彼らの自立を促しているような。
…気のせいかな。
他にも、信号待ちをしている車に、
無理やり洗剤をぶっかけて、洗車しちゃう子ども達。
きれいな民族衣装を着て、子やぎを抱え、写真を撮られるのを待つ子ども。
ちょっと立ち止まれば、すかさず靴磨きをされちゃったり。
(わたしは裸足にぞうりなので、心配ないけど)
よくぞこんな商売を、と感心しつつ、
そうでもしないと食べていけない、厳しい現実を見る。
マチュピチュ、行ってきたよ

ただいまー。
マチュピチュより、無事生還。
3泊4日のトレッキングは、予想以上にきつかったー。
自分で自分をほめてあげたい。
よくがんばった。
インカ道は、すごくきれいだった。
景色という意味でも、整備されてるという意味でも。
西表島を横断したときみたいに、
うっかりしてると迷うような余地はなかった。
だけど何しろ高度がきっつい。
2日目。4200mの山頂を目指して、
ひたすら登り、昇り、上り、のぼり。
いつもなら出るはずの一歩が出ない。
あんなに自分の一歩が重いとは。
4200m、恐るべし。
でも「きつい」とは一言も言わなかったよ。
だって、口に出してしまったら最後、
本当にきつくなってしまいそうだったから。
これはいつでもそう。
弱音は吐いた瞬間に、言霊がこもって、自分に帰ってきちゃうから。
絶対言わない。
せっかく覚えたスペイン語の単語「cansada」(疲れた)だって、使わない。
「No,cansada」(疲れてない)なら言うけどね。
そして、3日目の下りでは、
左足首と靴との相性が悪いこと悪いこと。
ずーっと足首をかばいながら歩いてたら、
そのツケが、4日目、マチュピチュを目前にしてやってきた。
左足のひざを傷めちまいました。
あと少しでマチュピチュなのに、
びっこを引かなきゃ歩けない。
何てこった。
その姿を見かねた人に、杖までもらって歩いたよ。
杖に頼って歩くおばあちゃんの気持ちが初めてわかりました。
杖って、あんなに足の負担を助けてくれるのね。
そんなこんなで、4日かけてようやく辿り着いた、
「マチュピチュ遺跡」
テレビや写真、あふれまくってる映像の中に、
自分がいるって、不思議な感じね。
「夢のよう」とは、このことだと思いました。
マチュピチュ自体が持つパワーより何より、
あれだけ想っていた場所に、自分が立っているリアルに、
震えた。
でもさ。
マチュピチュを臨む、ワイナピチュという山にも、
最後の力を振り絞って、登ったのね。
「まみこはその足で登るのか?」
と、ガイドの人にも半ばあきれられながら。
ワイナピチュ自体は、40分で登れる山だし、
それまでの4日間を思えば、何てことなかった。
但し、体力的には。
それが、わたし。
実は「高所恐怖症」だったってことに、途中で気づいてしまって。
一歩踏み外したら終わりっていう、ものすごい崖っぷち。
半泣きしながら「もう帰るー、お母さーん!」
って、本気で日本語で叫んだよ。
それでも頑張って登頂したごほうびに、
神様はちゃんと山頂で虹を見せてくれたけれど。
でも、体力以上に、精神力を使い果たして、
最後はマチュピチュに別れを惜しむ余裕もなかった。
足は痛いし、へとへとだし。
早くクスコに帰って、熱いシャワーを浴びることしか考えられなかったよ。
(4日間、汗だくになってもシャワーはなかったしね)
とにもかくにも、無事生還。
まみこ、おめでとう。
あなたの願ったマチュピチュは、ついに現実のものになりました。
願いは叶う。
ありがとう。
生サッカー

楽しかった愛しのクスコを去り、
1ヶ月ぶりに、リマに帰ってきた。
それはなぜかというと。
何と。
サッカーワールドカップ予選「ペルー対ブラジル」戦を観るためなのだー。
南米対南米の試合を、南米で観る。
熱いっ!
しかも、愛するペルーがホームで、
強豪ブラジルがやってくると来たもんだ。
熱すぎるねっ。
でも、本当に熱すぎると、危なくて怖いことになりそうなので、
安い席には座らずに、高級な席。
奮発しちゃった。
そしたらホントにいい席で。
選手の顔まで見えるもんだから、
ペルーの応援って言いながらも、
ついついロナウドとリバウドに夢中なわたし。
幸せでした。
それにしても、やっぱり国際試合を、ホームで観るってのは、
すっごい迫力。
ペルーのチームカラーは赤。
真っ赤に染まったスタンドは、試合前から大興奮。
みんな総立ちで、揺れまくり。
もちろんわたしも赤いTシャツ着て、飛び跳ねてました。
真っ赤な満員のスタンドに、
黄色いブラジルの応援団はほんの一握り。
前半にブラジルのフリーキックが決まったときには、
ブーイングどころか、しーんとスタジアムが静まり返った。
あれって、却ってこわいね。
逆に後半にペルーの得点が決まったときには、もう、もんのすっごい大興奮だし。
結局、試合は、1対1の引き分け。
引き分けって言っても、相手はブラジル。
これって、たぶんすごい快挙。
今のペルーはのってます。
ワールドカップ、行くぞー。
ペルーで沖縄

日系人のお祭りに行った。
ちょうど、リマに着いたその日がお祭りで。
年に一度しかないらしい。
何というタイミング。
そしたら行ってびっくり。
そこは沖縄、八重山地方。
いきなりBGMが、BEGINの「竹富島であいましょう」ときたもんだ。
思わず、手足が勝手に動いたね。
BEGINを聴いて、踊らずにいられるか。
わたしは竹富町民だ。
さらにかかる曲が「ネーネーズ」に「ひやみかち節」
ここは沖縄か!?と思ったところで、
「お嫁サンバ」や「北酒場」がかかったりして。
しかも、郷ひろみでも細川たかしでもない人が唄ってるバージョン。
何でだ?笑える。
それにしても、ペルー日系人には、沖縄の文化が脈々と流れてるんだね。
神輿が出れば、旗頭が立ち、
その旗頭に書かれた言葉は「いちゃりばちょーでー」
(出会えばみな兄弟という意味の沖縄方言)
屋台のメニューは、
「そば」といえば「沖縄そば」だし、
「おにぎり」といえば、具は「油みそ」だし。
「天ぷら」といえば「サーターアンダギー」が出てくる始末。
「油みそ」と「サーターアンダギー」を、解説なしで理解する日本人が、
いったいどれだけいるでしょう。
沖縄以外じゃ有り得ないよ。
「天ぷら」って言ったら、
まるで「ドーナツ」みたいのが出てきちゃうんだよ。
全く。
日本人もびっくりだよ。
それで驚かないのは、世界中探しても、
うちなーんちゅ(沖縄人)と、ペルーの日系人くらいだ。
ちなみに、「油みそ」は沖縄の家庭料理(?)で、
米味噌に、油や砂糖、豚肉なんかを入れて作る、おふくろの味。
おかずにもおやつにもいけます。
「サーターアンダギー」は、砂糖天ぷらって意味だと思うんだけど、
ホントにドーナツです。
小麦粉と卵と砂糖を混ぜて、油で揚げたもの。
さて、さらに「なんとぅー」も売ってた。
納豆じゃないよ、「なんとぅー」ていう、沖縄の餅。
日本人、普通は誰も知らないって。
そうそう、それと子供たちの演し物で、
「日出克」(沖縄、八重山出身の歌手)の曲に合わせて、
太鼓を叩いていた。
いったいどこまで、わたしの八重山魂をくすぐれば気が済むんでしょう、あの人たち
は。
ここまで「日本」ではなくて「沖縄」
しかも「八重山」ローカルなネタが満載だとは。
たぶん、会場中で、誰よりもわたしのツボがくすぐられてました。
リマで注射

さてさて。
思いがけず、リマに長期逗留してます。
既に早1週間。
なぜかというと。
それは注射。
注射のため。
実は、10月末に、犬に噛まれた件が、尾を引いていて。
狂犬病のワクチンを打ち続けてます。
全10本。
はじめの7本が、7日間連続じゃないと、意味ないそうで。
今日で5本目。
う、思い出したら、今日打ったところが痛くなってきた。
まあいいや。
病院ではなくて、保健所みたいなところで打ってるんだけど。
今じゃすっかりみんな顔パス。
保健所の職員の方々はもちろん、
保健所前のアイス売りのおばちゃん、
犬の首輪を売るおばちゃん、
2~3台待ってる、タクシーのおじちゃん達まで顔なじみで、
ついに値段交渉も、行き先も言う必要がなくなりました。
毎日打つのは大変かな、と思ってたけど、
日課になると結構楽しい。
注射を打つとスタンプが押してもらえるのも、
ラジオ体操みたいで嬉しいし。
だけど、狂犬病の潜伏期間って、
最長で2年近くもあるんだって、本当かなあ。
発病したら、有効な治療法もなくて、死んじゃうって。
注射を打ったら、80%大丈夫って言われたんだけど。
80%って、「えーーーっ!?」て感じですね。
残りの20%は?
5人に1人は死んじゃうの?
困ったもんです。
乞う、正確な情報。
まあ、どんなことでも受け入れるしかないけれど。
ガスなんていらない

昨日、はじめて「催涙ガス」というものを吸いました。
宿で友達とくつろいでいたら、
突然、鼻の奥がピリピリピリ。
明らかな異変に、
「わたし、今、何を吸った?」
と、思わず口に出すと、
その場にいた人がみんな異常を感じてた。
原因は、宿の表通りで、警官が発射した「催涙ガス」
何があったかはわからないけど、
警官がたくさん集まって、いざこざしてたみたい。
たまたま開いていた、部屋の窓から、
宿の中にまでガスが入ってきたらしい。
「この街の怖さ」よりむしろ
「ガスの怖さ」を感じたできごとでした。
目には見えず、臭いもせず。
気がついたときには、もう吸っていて、
体に異常をきたしていた。
催涙ガス程度だからよかったけれど、
世の中には「生物兵器」と呼ばれるものも、
「サリン」のようなものも実在するんだよね。
怖い。
怖いな。
体で実感。
そんなものいらない。
PEACEを。
Peace Mamizou.
11月23日 リマ

いよいよ明日で、注射が終わる。
この街(リマ)を離れる日がやってきた。
「計画」よりも「感覚」を大切にして旅をしているわたし。
「こうしよう!」て決めたときに、追い風が吹けば、
神様が応援してくれている証拠。
反対に、何をやってもうまくいかない、そんなときには
神様が「こっちじゃないよ」て教えてくれている証拠。
そう思ってやってきたけど。
リマに来てから、逆風がんがん吹きまくり。
財布は落とすし、
お腹こわすし。
紹介してもらえるはずの人からは連絡が途絶えるし、
好きな彼には1ヶ月ぶりの電話を10秒で切られるし。
楽しみにしていた、日系2世の人達との「三味線練習」だって、
中止になるし。
今日は起きたら風邪引いてるし。
鼻水止まらん。
熱っぽいぜ。
(そういえば、狂犬病の初期症状は、風邪に似てるとか。
大丈夫か!?わたし)
これらは明らかに「こっちじゃないよ」のサイン。
なのに、注射でリマを離れることができないよー。
と、思いつつ、逆風の中を歩いていたら。
落ち込みすぎて、
「自分がどうしてペルーにいるのか」
「今のわたしがやりたいことは何なのか」
そんなことまで見失ったよ。
だけど、それでも、帰国のチケットは1月10日。
帰る日付は変わらない。
やるべきことは、ここにあるはず。
気を取り直して、旅を再開。
考えてたって、浮かれてたって、落ち込んでたって、
やることは同じ。
前を向いて、歩くだけ。
エクアドル目指して、北上します。
ペルーのトイレ事情

ペルーのトイレ、基本的にはそんなに困りません。
洋式で、水洗。
ただ、日本の常識と照らし合わせると、
笑っちゃうことも多々あり。
まず。
トイレットペーパーはない。
ので、各自、カバンにロールペーパーを一巻き入れておく。
これは基本(必須)。
日本みたいに、ポケットティッシュが配られてたらいいのにね。
ポケットティッシュってのは、存在自体ないっぽいので、
ロールで買います。
ちなみに、水洗トイレとは言っても、
紙は流しちゃいけません。
詰まっちゃうので、備え付けのゴミ箱に捨てましょう。
次に便座。
これが意外とないことが多い。
そのまま「便器」
聞いた話によると、便座もどうやら盗まれるとか。
便座がない場合。
そのまま便器に座るか、
空中に腰を浮かせるか、は意見の二つに分かれるところです。
ちなみにわたしは、
ペーパーで便座を拭いてから、直接しっかり座っちゃいます。
(これでどれだけ非難されようと、空中なんて、わたしの筋肉は無理!)
そしてドア。
これまたカギが閉まらないことが多い。
カギどころか、ドアすらぴったりはまってくれずに、
必死で手で押さえてたりする。
個室が広くて、押さえる手が届かないと、
どうしたらいいかわからず、結構大変。
でも、これはみんな、お互い気を使ってるのかな。
なぜか未だに
「あ!」ていう、気まずい瞬間には遭遇してません。
以上、ペルーのトイレ事情。
さらに田舎に行くと、
バケツで水を流したり、
入り口で有料(20円くらい)なのに、汚すぎて無理だったり。
いろいろありますが、それは特別。
基本的には、自分専用ロールペーパーさえ持ち歩いていれば、
快適(?)です。
でっかいビジョンを生きる喜び

国境の町まで、6時間。
砂漠を越えて、走るバス。
ようやく見えた、海辺の町は、
ほこりにまみれて、どこまでも白い。
青くない海に「これから」を思う。
「やりたいこと」ばかりじゃなくて、
「在りたい自分」を思い描こう。
描くだけじゃなくて、しっかり生きよう。
「描く」に終わらず、「生きる」ところに喜びがある。
「描いたビジョンを生きる」ところに、計り知れない喜びがある。
わたしのやり方

こんなことくらい、
痛くも、かゆくも、何ともない。
笑いとばそう。
だって、本当に何でもないから。
「痛がり」「かゆがり」は、
ただ優しさが、欲しい弱さの、自己陶酔。
お待たせ!

じゃーーーん。
国境を越えて、エクアドル突入。
越えた途端に、絶好調。
今までの逆風は、何だったんだろう。
もしや、エクアドルが
「早く来ーい!」って、呼んでいたのか?
それにしても。
リマを出てから、国境を越えるまでも。
ものすごい勢いの逆風っぷり。
愛用のぞうりの鼻緒が切れたときには、
どうしようかと思ったよ。
突然の「裸足で異国の町歩き」
こうなったら笑うしかないな、と笑っていたので、
「笑いながら、裸足で歩く、変なチニータ(東洋人をからかい半分でこう呼ぶ)」になってました。
さらに翌朝は、買ったはずのバスチケットをなくしてるし。
泊まったホテルは、一晩中うるさくて眠れないし。
まあ、絶好調の今となっては、
全部鼻息で吹っとばしちゃうけどねー。
新しいぞうりも買っちゃったっ。
(3ドルを値切って、2,5ドル)
ところで、日本のことで、報告。
「なまえのない新聞」という、
地球にやさしい新聞があります。
そこに何と。
11月号から「まみぞう手書きページ」が連載スタート!
どこかでみつけたら読んでみてください。
みつけなくても読みたい方は、こちらのページへ。
http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/
とてもステキな新聞です。
歩いた後に、笑顔の花を

「これだから日本人は…」
一瞬、日本人のわたしでさえ、顔をしかめる、
非常識な振る舞いの日本人に会った。
同じ日の午後、
バスで隣に座った、エクアドル人の女の子。
わたしのカバンについている、ピンクのひもを、
じっとみつめて、目を離さない。
ふと思いついて、
そのひもで、彼女の髪を三つ編みに結んだ。
「すっごくかわいい!」と、笑いかけると、
彼女は、顔をくしゃくしゃにして、とびっきりの笑顔。
わたしの、ほんのちょっとの思いつきに、
こんな笑顔を生み出すパワーがあるなんて。
たった3分のできごとだけど、
幼い彼女の記憶の中で、
「日本人は、めっちゃいいやつ」になった気がする。
「これだから日本人は…」
って、仲間の悲劇を嘆くより、
「日本人、大好き!」
って叫んでくれる、南米人をガンガン増やそう。
歩いた道を振り向くと、
南米人が、道の両端に並んで、
両手を挙げて、飛び跳ねて、
「マミコー!」「ハポーン!」って、
笑顔全開で叫んでくれてるイメージ。
全ての出会いに、本気で愛を、ぶつけてやる。
バナナの国、エクアドル

ここは南半球。
北上するにつれ、赤道が近づき、暑くなる。
ペルーのリマから北へ、バスで20時間。
エクアドルが近づくと、
道端に「バナナの木」がちらほら見え始めた。
沖縄、西表島にも、バナナの木はあちこち生えてる。
懐かしいなあ、なんて思っていたら、
いつのまにやら、車窓に映る景色は、バナナ、バナナ、バナナ。
あっという間に、懐かしいどころか、生まれて初めて出会う光景。
辺り一面「バナナの森」
エクアドルは「バナナの国」だった。
「バナナの森」を抜けて、
エクアドル最初の町「マチャラ」に降りると。
そこはやはり、常夏「バナナの町」
数え切れない屋台が並ぶ中、バナナ料理の多いこと多いこと。
まず挑戦したのは「焼きバナナ」
皮をむいたバナナを、こんがり焼いてある。
食べてみると・・・
何と「焼きイモ」そのまんま!
バナナ特有の甘みも酸味もなく、
ほくほくこんがりおイモちゃん。
バナナだと思うと、イマイチおいしくないのに、
イモだと思うと、おいしいおいしい。
「ふうん、バナナって、イモなんだー」
と、やけに感心してしまった瞬間。
そしてその後も、
「バナナ イコール イモ」の図式は揺るがない。
肉の串焼きを買えば、一番先っちょにはバナナが2切れ。
でも味はイモ。
バナナをつぶしたものに、衣をつけて揚げているから、
当然お菓子と思って買うと、
おじさんが一言。
「マヨネーズ、付ける?」
・・・って、お菓子じゃないんだー。
とにかく、何を食べても、
「バナナの色と形をした」「バナナという名の」イモがついてくる。
どこに行っても、バナナ、バナナ、バナナ。
「マチャラ」は本当に「バナナの町」だーーー。
マンゴーの国、エクアドル

マンゴー、おいしーーーい!!
毎日マンゴー、食べてます。
だって、安くて旨いんだもん。
1ドル、今って、109円?
109円で、マンゴーが8個も買えちゃうんだよ。
沖縄、西表島で3年間、マンゴーを食べて暮らしたけれど。(夏限定)
タイや台湾に旅行して、安いマンゴーもいっぱい食べたけれど。
エクアドルのマンゴーは、安いだけじゃない!
「ここまで上等なマンゴーには、そうそうお目にかかれません」
ていう、最上級レベルのマンゴーが、
町中あちこちにごろごろしてて、
そうそう簡単にお目にかかれちゃう。
色も形もいい上に、皮がしっかりしていて、身は肉厚。
「固いかな?」と思っても、ばっちり熟していて、かじるとジューシー。
ああ、たまらない。
そこらへんで子供たちが、
マンゴーの上部だけ、ちろっとかじって、
その穴から、ちゅうちゅう吸ってる。
「何ともったいない食べ方を!
しっかり身を食べなさい、身を!」
と思いつつ、真似してみると。
なるほどこれなら、歯と歯の隙間に、
マンゴー独特の、あの繊維が挟まらない。
皮がしっかりしてるおかげで、身も崩さずに、
穴からしごいて食べられる。
「郷に入れば郷に従え」やね。
さすが、エクアドルの皆さんは、よくわかってらっしゃる。
そんなこんなで、今日もマンゴー、食べてます。
河のほとりで、マンゴー片手に日光浴。
幸せだなあ。

