2004年1月 フェリスアニョヌエボ

フェリスアニョヌエボ

あけましておめでとうございます。
と、そういえばまだ、日本語で挨拶してないなあ。

12月27日に、クエンカを出て、1週間。
ようやく日本語でインターネットのできる町にきました。
と言いつつ、中国製の怪しいソフトで、
正しく送れるかは不明。

トルヒーヨ。
ペルー北部の、海に近い町。

ここまでの道のりは。

バスの中で知り合った人の家に泊めてもらったら、
そこは砂漠地帯だったり。

夜行バスに乗ったら、目的地に早く着きすぎて、
ターミナルのベンチで夜を明かしたり。

エクアドルの田舎町では、
道端でアクセサリーを売る、日本人の女の子と知り合ったり。

元旦早々、何となく参加してしまった日帰りツアーでは、
ペルー人旅行者のカップルだらけで、いちゃいちゃされまくったり。

ラストスパートにふさわしく、
バタバタした日々。

さて。
これから1週間、さらにバタバタした日々が続きます。
移動しまくり。
がんばるぞー。

お風呂の国の人だもの

わたし程、幸せに年を越した人が、他にいるだろうか。
(と、世界中の人が全員思ってたら、ステキだけどな)

何が幸せって、「温泉」が幸せ。

ペルー北部の「カハマルカ」という町は、
インカ帝国最後の王様が、スペインからの侵略者に捕まった町。

それが、
この「温泉」に入ってるときに、捕まっちゃったんだって。
気持ち良すぎて気を抜いちゃったのかなぁ、かわいそうに。

で。
その「温泉」に入ってきました、大晦日。

これがもう、長旅(と、長い沖縄生活)で、
シャワーしか知らない体には、たまらないんだ。
最高。

入口で、4ソレス(150円位)払うと、
ずらーっと、個室風呂が並んでる。

そのうちの一部屋に入って、鍵を閉めると、
そこはもう「マイ風呂」

お湯、ため放題の、浸かりたい放題。

お客さんが入れ替わる度に、きちんと掃除してくれるから清潔だし。
蛇口をひねれば、熱い温泉がジャバジャバ出るし。

実はこの旅、「温泉」と呼ばれる所は、4ヶ所目。
だけど今までの3ヶ所はどこも、
「温泉」とは名ばかりの「温水プール」。
水着着用で、中途半端なリゾート感が漂ってた。

「プール」に「温泉のお湯」を貯めてると思うと、
かなり贅沢ではあるんだけど。

こよなく「温泉」を愛する、日本人のわたしとしては、
どうも納得のいかない「温泉」ばかりだった。

それがどうよ。
カハマルカのインカ風呂バンザイ。

自分の好きなように、お湯をためて、
足湯にしたり、肩まで浸かったり。

あまりに楽しくって、幸せで。
大晦日だけに留まらず、元旦早々行っちゃったよ。
2日連続、インカ風呂。

銭湯帰り気分で、タオルを首に引っかけながら、
月夜のペルーを歩くのも悪くないね。

ペルーの年越し

年末に「カハマルカ」に着いてから、
「どうも、変な人形が売ってるなぁ」と、
気になってはいたんだ。

小学生が、図工の時間に作ったような、
絵の具で色を塗っただけの、でっかい紙人形。
人間の子どもと同じくらい大きい。

それがさ。
大晦日、あと1時間で年が明ける頃、
カハマルカの町を歩いていたら。

その「人形」が、何人も何人も、
各家々の前、道端にちょこんと座ってる。

気になりはしたけど、座ってるだけだし、
「門松」みたいなものかなぁ、と、
人形たちを横目に、ホテルのカウントダウンパーティーへ向った。

そしたら、ホテルのパーティーは、お約束通り(?)
カウントダウン直前に停電。

暗闇の中、それぞれが自分の時計で、適当な時間に、
「フェリス アニョ ヌエボ !」と、肩を抱き合って新年を祝い、
肝心のカウントダウンは、年明け3分後に、改めて数え直した。

ちょっぴり気分がしらけちゃったので、
年明け1曲目だけ、思いっきり踊って、
0時10分には帰途についた。

そしたらびっくり。

道端のあちこちで、炎が上がってる。

そう。
さっきの「人形」たちが燃えているのだ。

きれいだったなぁ。
「門松」というよりは、
お盆の「迎え火」「送り火」に近いんだろうか。

真夜中に、それぞれの家の玄関先で燃える人形たち。
そして、それを囲む、家族たち。

この習慣が、カハマルカだけのものなのか、
ペルー全体のものなのかは、わからない。

でも、こうやって年を越す町があるんだなぁって、
しみじみ、炎を眺めたよ。

そういえば、ホテルでの「年明け1曲目」は、
「蛍の光」のサルサバージョンでした。

日本では、旅立ち、お別れの曲なのに、
ペルーでは、陽気な新年1発目の曲なんだな。

国が違うって、面白い。

友達はぶどう

ぶどうがおいしい。

「マンゴー大好き」まみぞうも、
さすがにこの1ヶ月、毎日のようにマンゴーを食べ続けたら、
ちょっと飽きてきた。

だって、エクアドルで聞いたところによると、
マンゴーが出回るのは、11月から1月だけ。

いつでも食べられる訳じゃないマンゴーに、
この旅ドンピシャリで出会えたかと思うと、
飽きるまで食べずにはいられなかったんだもん。
ホームステイ先のママも、毎日買ってきてくれるし。

でも、飽きてきちゃった。
もったいない話だ。

ところが。
そんなときに出会ってしまったのが、
今度は「ぶどう」

カハマルカの町に来たら、
ぶどう売りの屋台が、あちこちに。
どこの屋台も、ぶどうが山盛り。
味見もさせてくれて、とにかく甘ーい。

50センティモ(20円くらい)払って、2房買う。

宿のベッドで。
公園のベンチで。
バスの移動で。

今のわたしの友達はぶどう。
二人はいつも一緒なの。

また失敗

また、やってしまいましたー。

この3ヶ月、
犬に噛まれ、
財布を落とし、
切符をなくし。

これ以上、トラブルの達人になってどうするんでしょう。

今回は。

荷物を置いてきぼりにして、
自分だけ、次の町に移動しちゃったっ。

あー。
あと4日で帰国だというのに。
毎日いろいろあって、飽きないね。

バックパックを丸ごと、リマに残したまま、
4時間もバスに揺られて、ピスコに来ちゃったわたし。

やっちゃったねー。

なぜこんな事態が起きたかというと。

バスターミナルで、荷物を預けたときの勘違い。
わたしは「バスに積み込むつもり」で、荷物を預けた。
けど、そこはターミナル内での「手荷物一時預かり所」だった。
らしい。

だって、わたしとしては「バスに積み込んだつもり」だったから、
バスを降りて、わたしの荷物がない!
「どこに?」「どこに?」
びっくりしたなー。

でも、聞いてください。

その荷物、何と。
一夜明けた今、わたしの手元にあるんです。

奇跡的。

ペルーでバスに乗るときは、
網棚どころか、足元にも荷物を置くな、とよく言われる。
必ず膝の上に置かないと、
少し目を離した隙に、必ず盗まれる、と。

なのに。
バスで4時間も離れた町で、
すっかり目を離しっぱなしだと言うのに。

ちゃんと翌朝、わたしの荷物は、わたしの手元に届いたよ。

本当にみんなどうもありがとう。
バス会社の人だけじゃ「ありがとう」が足りない。
誰に感謝したらいいかわからないけど、
全ての人に、とにかく感謝。

あと3日で、帰国します。

空から地上絵

とうとう、この旅最後の観光。

「ナスカの地上絵」を見てきた。

見るつもりなかったんだけどな。
そんなに興味ないのに、高いお金を出すのはちょっとなぁ、
と思っていて。

だけど、帰国直前。
1日でもじっとしてるのが、もったいない。
スケジュール帳と、にらめっこして、
「ナスカからリマ。バスで7時間。よし!行ける!」
って、過密スケジュールの最後に、
この「地上絵」を持ってきた。

でも、見た人からの評判はいまいち悪いし、
あんまり期待はしてなかった。

「小さくしか見えない」とか、
「飛行機酔いして、さんざんだった」とか。

どんなにひどいのかと思ったら。

キャーーーーー。
まみぞうったら、大興奮。

本当に行ってよかったよ。

地上絵もばっちり見えたけどね、
それより何より。

わたし、自分が「のりもの大好き」なこと忘れてた。

セスナ、楽しい!

6人乗りの小さなセスナで、
地上絵の上空を、右に左に、くるくる旋回。

いちいち「キャー」とか「ヒャー」とか騒ぐわたしに、
他の4人もパイロットも大笑い。
「大丈夫だから、落ち着けー!」
って、言われまくった。

楽しかったなぁ。
また乗りたい。

だけど、あと1時間後には、
帰国に向けて、いよいよリマ行きのバスに乗るんだなぁ。

旅が終わりに近づくにつれ、
まみぞう、ますます絶好調!

ペルーから帰ったって、
日本にいたって、
どこにいたって、
わたしの旅は終わらない!
どこまでだって行ってやるー。

1月8日 リマ

リマに帰ってきた。

旧市街は、1ヶ月半ぶり。
新市街は、2ヶ月半ぶり。

全ての場所が懐かしい。
全てのことが愛おしい。

昨日の夕方、リマに向かうバスの中から、
太平洋に沈む夕日を見た。

南米では、太平洋に陽が沈むんだぜ。

そして、その「沈んでいく太陽」は、
そのときまさに「日本で昇っている太陽」なんだなぁ、と。

大きな大きな地球を思う。
砂の数と、星の数は、どっちが多いんだろう。

バスの中で、全くスペイン語を話せない欧米人が、
カバンをなくして、泣くわ怒るわ、大騒ぎだった。

「あんなにスペイン語がわからないのに、
よくペルーを旅行するなぁ」と、
3ヶ月前は自分もそうだったことに気付き、
はっとする。

そして、
何がなくても、何があっても、
あんなに悲嘆に暮れることなく、
「またやっちゃった」
と、全てを笑える自分の幸せ。

今日と明日の2日間。
「まだここにいたい」と、
ペルーの大地にしがみついて、
それこそ泣いて騒ぎたいけど。

こういう気持ちで帰れる幸せを
さらに抱きしめて、
もう一度リマの街を、ゆっくり歩こう。

いよいよ

あと6時間もすると、
帰国の飛行機に乗る。

ペルーにいる間も、
この日記を通して、
数々の出会いがあった。

たくさんの人が、この日記を通して
毎日わたしの旅を見守ってくれた。

どれだけ心強く、
どれだけ救われたことだろう。

特に、12月6日、キトを出た日の日記。
少し悲しかったことを書いたら、
いつもの倍以上の人が、
心配してメールをくれた。

わたしは何て幸せ者なんだろうって、
こんなに励まされたことはない。

全ての出会いに力をもらって、
これからどうやって歩いて行こう。

迷いはないけど、
もらった力の大きさに、
戸惑いすら感じるよ。

ありがとう。
本当に、全てに、ありがとう。
心から。
みんなみんなを愛しています。

ただいま。

昨日、無事に帰ってきてます。
30時間かかりました。
へとへと。

3ヶ月ぶりの日本。
4年ぶりの冬。
寒いと言うより、冷たくて空気の肌触りが気持ちいい。

時差ぼけで、ぼけぼけしてて、
日記、ちゃんと書けません。

でも、ぼけぼけしてて、
何も書かないと、
心配かけるので、
とにかく、
「ただいま」だけでも。

ただいま。
ありがとう。

そして、おやすみなさい。
もう寝ます。

冬眠から覚めても寒いな、東京

長い眠りから目が覚めた。

脅威の25時間睡眠。

朝の7時半に眠って、
起きたら、朝の8時半だったよ。

もう時差ぼけとか、疲れとか言ってられないね。

「我が家には動物がいる。
体力が完全に回復するまで寝ていられるのは、動物だ」
と、父親に言われた。

その通りでございます。
まみぞう完全復活。

おいしい日本食も食べて幸せ。

炊きたての白いご飯、
ごぼうの入った豚汁、
ざる豆腐の冷奴、
まぐろの刺身。

ペルーから国際電話でリクエストした通りの食卓、
さらにサラダにケーキまで。
お母さん、どうもありがとう。

5日たっても慣れないこと。

日本に帰って、早5日。

成田空港に着いたその日こそ
人にぶつかれば
「ぺルドン!」
改札のおじさんにも
「グラシアス!」
なんて、
うっかりスペイン語を連発していたわたくしですが。

そんなのは、2日も経てばなくなっちまうもんですね。

せっかく覚えた、わずかなスペイン語の取っ掛かり。
忘れないように、むしろ積極的に使っていきたいもんです。

けど、言葉ってのは、
こんなに簡単に忘れそうになるのに、
習慣ってのは、一度染み込むと、なかなか抜けてはくれないようで。

どーーーうしても、
この5日間、とまどい続けてる瞬間がある。

それはトイレ。

紙をね、
便器に流していいものか、どうしても一瞬ためらっちゃう。

この3ヶ月間、使った紙は、
備え付けのゴミ箱に捨て続けてきた。
便器に流したら詰まるから。

飛行機の中のトイレから、
毎回トイレに入る度、便器とにらめっこしてる。
「紙、流してもいーい?」
って、聞く感じ。

どうして流しても詰まらないんだろう。

日本の水洗トイレって、すごいな。

お腹ふくれた。

「ペルーで、お腹はこわさなかった?」
と、ときどき聞かれる。

こわしたよ、何回か。

でもね、普通と違う。
「下す」の反対。

腹がふくれて、破裂寸前。
気分は、ストロー突っ込まれたウシガエル。

げっぷが止まらなくて、
胸よりお腹が出てた。
(それはいつもと変わんないかー)

「げっぷ」って、大抵その直前に食べたものの
ニオイがするでしょ。
だけど、このときのげっぷは違う。

シュワシュワシュワーって、
炭酸ソーダみたいな、げっぷが出まくり。

苦しくて苦しくて、
うんうん唸りながら眠ると、
翌朝には治ってるんだけどね。
あー、丈夫なわたしでよかった。

原因は不明。

でも、まみぞう予測によると、
原因は「常温保存の乳製品」

ペルーって「飲むヨーグルト」が人気あるみたいで、
いっぱい売ってるんだけど、
ほとんどが常温で何日も置いてあるっぽい。

ヨーグルト大好きまみぞうは、
つい買って飲んでしまうんだけど、
あいつらはきっと、
保存料がたっぷり入ってる上に、
お腹の中で発酵しちゃうんだな。

だって、最後の方、
飲むのをやめたら、
お腹こわさなくなったもん。

うーん。

2ヶ月前、ペルーで財布をなくした。

中に入っていたのは、
3日分の現金(USドル)、
運転免許証、
銀行のカード、
クレジットカード、
郵便局のカード、
日本円。

まぁ、なくしちまったもんは仕方ない。

国際電話でカードを止めて、
さほど気にせず、旅を続行。

何の問題もなく、旅は終わった。
(成田空港から自宅に帰る日本円がなくて、
ちょっとどっきりしたけど)

けどさ。
今になって、めんどくさいねー。

止めたカードを再開しようと、
銀行に行けば、
「住所の確認できる身分証明書」
って言われるし。

運転免許証は、一緒になくしたっちゅうねん。
健康保険証は、沖縄の住所だから確認にならないんだって。
(銀行の届出は、東京の実家の住所なので)

で、銀行のカードを再発行するため、
先に運転免許証を再発行しようと思ったら、
わたし、免許の届出を沖縄の住所に変更してなかった。

住民票も、健康保険証も、沖縄の住所だから、
こっちも「証明」するものがない。

住所変更からやらなくちゃ。

ていうか、
運転免許証を沖縄の住所に変更しちゃったら、
今度こそ、わたしの東京の住所を証明してくれるものは
なくなっちゃう。

銀行のカード、再開できないのでは?

まさかそんなことはないと思いつつ、
「じゃあ、どうすんのよ」
って自分に聞いても、答えのみつけられないわたし。

愛する愛するイリオモテ。

西表島で一緒に暮らしていたリエが、
東京に遊びにきた。
わたしの家に泊まってる。
久しぶりに会うのに、全然違和感がない。
楽しい。

去年、西表島を共に縦断した友達が、
千葉の実家に帰ってきている。
明日の昼に会う約束した。
お互いどれだけ成長してるだろう。
楽しみ。

2年前、西表島で出会い、
永遠に会えなくなり、
でも永遠に側にいる友達がいる。
彼のご両親が、今晩家に招いてくれてる。
リエと一緒に訪れる。
この2年間のいろんな空気を思い出す家。
いっぱい深呼吸をしてこよう。

去年の春に西表島を卒業して、
夏には長野まで会いに行った、
愛するツヤが、今月末に西表島を訪れるという。

昨日、西表島の友達に電話をした。
懐かしい声がいくつも聞こえてきて、
頭の中が、興奮するのと落ち着くのを
両方いっぺんに感じた。

わたしの周りのあらゆる空気が
西表島の匂いで満たされてきた。

9月に島を出てから4ヶ月間、
常に想い焦がれていた西表島が、
いよいよわたしを呼んでくれてる。

来週行こう。

時が満ちてる。
愛する西表を、思う存分愛してこよう。
そして、でっかい愛に包まれますように。

シャワーの自由

自宅でシャワーを浴びる。
右手にシャワーヘッドを握り、
左手の指先から肩にかけて、
熱ーいお湯をかけていく。

幸せだなあ、と思う瞬間。

ペルーのシャワーは、
ずっと固定式だった。

高ーい天井を見上げると、
シャワーヘッドが、まるで電球のように、
そこについてる。

蛇口をひねると、
ちょろちょろちょろって、ぬるいお湯が、
頼りなさげに垂れてくる。

頭はかろうじて洗えるけれど、
腰から下には、うまくお湯があたらない。

シャワーの位置が高すぎる。
シャワーの水圧が弱すぎる。
固定式なので、どうする術も見当たらない。

つけた石鹸を洗い流せない。
体ぬるぬる。

そんなことが多かった。

ペルー人って、決して背の高い民族ではないのに、
むしろみんなちびっこなのに、
どうしてあんな高いところに、
シャワーをがっちりつけちゃうんだろう。

せめて位置が低ければ、
固定式でも、ちゃんと洗えるのに。

旧正月。

1月22日は、旧暦の正月だった。

東京にいると、すっかり忘れがち。
東京だけじゃないかな。
日本全国、全体的に忘れがち。

旧暦は、月の満ち欠けと共に在る、
海の満ち干きと共に在る。

西表島で暮らしていると、
本当に、生活の中に、そこにある。
これぞ暦、と思う。

新月、つまり月の全く見えない日が「旧暦の1日」
満月、つまり月がまん丸に輝く日が「旧暦の15日」

月の満ち欠け、15日のサイクル(循環)と共に、
暦がぐるぐるまわっていく。

そして、潮の満ち干きも。
新月、満月。
共に「大潮」といって、潮の干満の差が最も激しくなる。

そういうことが、
島にいると、当たり前すぎて、
わざわざ暦を確認することさえ、なくなる。

カレンダーを見て、
「そろそろ満月だな」と思うのではなく、
月を見て、
「そろそろ15日だな」
と思うのだ。

なのにやっぱり。
東京にいたら、忘れてたねー。

旧正月だということは、カレンダーで知っていたのに。
友達に「新月だね」と言われて、ハッとした。
東京にいたら、
月の満ち欠けすらわからなくなっちゃうんだなあ。
ちょっとショック。

でも、その日。
「寿」という、沖縄大好きバンドのライブにでかけ。

東京にいながら、
旧正月を祝う八重山の唄「鷲ぬ鳥節」を唄えた。
「鷲ぬ鳥節」を唄うと、
「新たな節目の始まり!」
って感じで、背筋がぴんと伸びる。

今年も(今年こそ)鷲のように、はばたくぞー。